温かく、柔らかな感触が押し寄せる。何度もふりを繰り返していたからか、ようやく満たされたような幸福感がゆっくりと広がっていく。
 しかしこちらがおずおずと手を伸ばそうとした矢先、彼の唇は離れていった。
「貴博さん?」
 演技でないなら、今のキスはいったい……?
「深雪ってさ、結構ずるいことするよな」
「え?」
「自分は演劇をやめる気なんかさらさらないのに、ユメの筆はあっさり折るんだから」
 今しがたのキスはなかったかのように話題が変わり、貴博さんはかなり断定的な口調で尋ねた。
「深雪も本当はプロの脚本家になりたいんだろう? だけど現実が邪魔して、あくまで趣味だと自分に言い聞かせてる」
「まさか」
 とっさにかぶりを振ったが、続く言葉は出てこない。
「いい加減認めろよ。ユメのモデルが深雪なら、あんたの本質は脚本家だ。それなのにユメと同じで挑戦する前から半ば諦めてるようなものだから、最後のヒロの言葉をうっかり受け入れそうになった。だとすればもう『俺の勝ち』ってことじゃないか」
 確かに私は、本番の舞台の上で彼にほだされそうになっていた。
「会社を辞めて脚本家として生きていきたいと思ったことも、あるんじゃないのか?」
「それは……」
 思ったことくらいなら、ある。
「でも別に、今の仕事を辞めるつもりはないの」
「どうして? やりたいならやってみればいいじゃないか」
「簡単に言わないでよ」