彼女はじっとこちらを見つめ、やがてぽつりと呟いた。
「馬鹿な女」
「え?」
 そして踵を返すと、私を置いてトイレから出ていった。
 彼女を追って廊下へ出たところで、貴博さんとも鉢合わせた。もしかして私のことを心配して――。
「ホントよ!」
 ……え、何が?
 彼に詰め寄り、麗さんは何やら訴えていた。
「深雪さんが取引を提案してきたの。婚約は解消してあげるからって」
「ち、違います!」
 慌てて二人の間に割って入った。
 たった今自分で持ち掛けた取引を、私が言い出したことにしてしまうとは。どこまで図太い人なのだ。
「私がそんなこと言うわけがないじゃないですか!」
 対してこちらは、やっぱりアドリブが弱すぎる。

 わざわざトイレの前で言い争うこともないだろうと、貴博さんが言うのでひとまず個室へ引き返すことになった。更に母親には、麗さんときちんと話し合う旨を告げて帰るように促していた。文乃さんもそういうことならと引き下がり、私はお見合い史上最も不可思議な「あとはお若い人たちで」を目の当たりにする。
 あまり人目を気にしないタチであるこの男の対応は少々意外にも思えたが、場所が場所だからと納得しかけたところでハッとする。むしろ容赦ない言葉の殴り合いを始めるつもりなのではないか、と。
 そして席に着いた途端、案の定彼はこちらへ尋ねてきた。