「麗さん、この女性のことは気になさらないで。貴博は今ちょっと気の迷いを起こしているだけだから」
「ええ、よく分かりました」
 それとおそらく、文乃さんは勘違いをしている。
 彼女は麗さんが女人禁制の梨園で、奥ゆかしくつつましやかな女性に育てられたと思い込んでいるが、むしろ外の世界でも生きていけるよう強かに育てられたんじゃないだろうか。
 きっとお芝居の経験もあるのだろう。私の目には劇団カフェオレに欲しいくらい忍耐強くて猫被りの上手い女優に見えた。

 笑顔を崩さない麗さんのおかげで、レストランでの会食という体裁は辛うじて保たれていた。
 ただ、飛び込み参加の私の分まで料理を出してくれた店の方には本当に申し訳ないのだが、とても食事を味わえる空気ではない。最低限の礼儀として胃袋に詰め込んで、頃合いを見て私はトイレに逃げ込んだ。
 個室の壁にもたれて、一人項垂れる。
 舞台の上なら何だってできたのに、この体たらく。どうすれば勇也さんみたいに日常的に演技のスイッチを入れられるのだろう。せめて笑って受け流すくらい、できないものだろうか。
「深雪さん?」
 扉越しに、麗さんの声がした。
「あなた、どうしてこんなところまで来たの?」
「どうしてって」
「私にケンカを売りにきたようには見えないのだけど」