「哉人さん」


大好きだと望んでも、初めてのことはやっぱり怖い。
それ自体への不安もあるし、本当に哉人さんの望みなのかという懸念もあった。
「お兄ちゃん」――怖いことや悲しいことがあった時、おまじないみたいに呼んだのと大差なかったらどうしよう。


「そんな声で呼ばないの。……この状況で“好きだよ”なんて、本当だけど狡いこと言いたくて仕方なくなる」

「……言ってください。私だって、その声で聞きたいんです」


好きって言って。
あの頃は言ってくれなかったことを、今「本当」だって言ってくれるのなら。
ムカつくくらい甘く優しい声で囁かれたら、きっと私。
「お兄ちゃんにならないで」って、今だけは言ってしまいそうになる。


「好き、ってさ。こういう時に言うと、無責任に聞こえない? ……俺はさ、自分で薄っぺらく聞こえちゃうんだよな。だから、悪いけどやっぱり今は言わないでおく」


今更だと拗ねる私を黙らせる為か、機嫌をとるためか。
何にしても肌に口づけられれば、塞がれていないはずの唇が大人しくなる。


「……愛してる。重すぎてやめたとか言うなよ。お前と同い年や年下の男と、そのへんは同じ。やめるとか無理だから」


敢えて重くしてくれたのが嬉しい。
恐らく、ううん、当然。
かつて誰かに言ってきたに違いないことは、悲しくて辛い。
でも、私にはそれができないと言われたのは、私を妙な優越感に浸らせてくれた。


「……責任取らせようとした、激重な私に言うんですか? 」


ニヤニヤしてしまいそうなのを、本気の冗談の裏に隠すと。


「そうでした。……まゆりは、とっくの昔に覚悟してくれてたんだもんな」


からからと笑ったのに、次に目が合った時にはお兄ちゃん要素の欠片もない目をしてた。
キスで誤魔化してくれたらいいのに――そう思ってしまうくらいの沈黙のなか、服の中に手が――……。


「…………」

「…………」


背中のホックに指先は的確にヒットしたはずなのに、僅かに早くスマホが邪魔をしてきた。


「……な、鳴り止みません……ね」

「……出た方がいいんじゃないか? 」


しばらく放置してたけど、しつこい。
全然そう思ってないみたいな声で哉人さんに言われ、諦めて着信の相手を見ると。


「……母、ですね」


二人して白目を剝いたって何も変わらない。
さっさと終わらせようと電話に出て、何も言わないうちから怒鳴られた。


『まゆり!? やっと出た。何してたの!? 』

「……何って……」


何かしようとしたところだったと、もういっそ言ってしまおうかと思ったけど、それすら遮られる。


『さっき、哉人くんの婚約者って人が現れたんだけど、一体どうなってるの!? 』


見上げると、どこを見ているのか分からない「お兄ちゃん」と目が合った。
つまり、私の目も行き場を求めて彷徨っているんだろう。


『もう、本当に一体何がどうなって……』


(……さあ)


――こっちが教えてほしいんですけど。