唇から始まる、恋の予感

部長は私が何をしたいのかを知っている。知っているうえで言っているのだ。
誠実に私に向かってきてくれている部長に、私はなんていう仕打ちをしているのだろう。
こんなに真っすぐ私に気持ちをぶつけてきてくれている人に、向き合うこともなく、いやだいやだと言うばかり。
揺れ動く気持ちはきっと、部長に恋し始めているからだと思う。人を信じず、頼らず、関わらず来た私は、男の人を好きになったことがないから、とても怖い。
直ぐに人を信じてしまうと分かっているからこそ、人を信じないようにと懸命に言い聞かせてきた。裏切りは人を簡単に殺せる。それが私には怖いのだ。

「……部長……あの……」
「なんだ?」

告白の答えが気になって、どう答えたのか聞きたくなった。私にそんなことを聞く権利はないのに、つい聞こうとしてしまった。
部長は私が話しかけたのが嬉しかったのか、身体をこちらに向けて期待しているような感じだ。

「いえ……なんでもないです」
「……そうか」

買ってくれたブドウ味の紅茶を飲む。甘くてブドウの味もしてとても美味しい。

「あの……」
「ん? どうした?」
「ブドウが……ブドウが一番好きです」

会話を切ってしまったことが気になって話を続ければ、ブドウが好きだという一言。バカすぎて顔をあげられない。

「そうなんだ、良かったブドウ味にして。何にしようか迷ったんだよね」
「……ありがとうございます」
「俺の実家は長野なんだけど、ブドウの産地で沢山の種類があってとても美味いんだよ」
「長野……いいところですね」
「行ったことはある?」
「いいえ」
「機会があったら行ってみて、すごくいいところだよ」
「はい」

なんでそんなにいいところを出て、東京で就職したのだろう。私の場合は、実家から会社に通えたけれど、実家のある場所は私にとって部長の言う、いいところではなかった。今も、これから先も、住むことはないと思う実家のある場所。良いところだと言える部長が、少し羨ましいと思った。
揺れ動く気持ちの正体が分からなくて落ち着かなかったけど、この気持ちは恋だ。
そして私は、この人の手を取ってはいけないと、この時確信した。