「わたしに喧嘩売るなんて、いい度胸じゃない、コータロー?」
「喧嘩なんか売ってねーだろ!最後ちょっと調子のったけど……」
 片手で顔をさすりながら幸太郎は言う。

 わたしが頭突きしたせいなのか、キスのせいなのか、幸太郎の頬は赤かった。
 わたしは、何となく恥ずかしくなって顔を逸らす。
「このタイミングでキスしてくるなんて、喧嘩吹っかけてる以外の何があるの?空気なんかよまねーぜ、俺の心はフリーダムさ!とでも言いたいわけ?」

「え、伝わってない……?それに何だその痛々しい表現」
「……」
 わたしは幸太郎の顔を見る。
 幸太郎はわたしの視線に気がついて、何かを言いあぐねている感じだ。
 幸太郎との歯車がかみ合っていないのをひしひしと感じる。

 犬だった幸太郎にはそう感じなかったのに、人間に戻ったとたんにこんな風に感じるなんて、おかしいけれど、本当だからしょうがない。
「もう、いいよ。魔法かけられるんだもんね、話せないならしょうがないもん。……部活戻ろ?」
 わたしは手櫛で髪をととのえると、幸太郎にそう声をかけて、そのわきを通り過ぎる。

「ミサキ……」
 幸太郎の面差しが悲しそうに曇っていたのを目の端でとらえたけれど、わたしにはかける言葉がなかった。
 階段を降り、実技棟の玄関で幸太郎とは別れた。

 幸太郎は玄関からグラウンドへと出て行き、わたしは実技棟からつながる渡り廊下から、体育館へと向かった。
 途中、ひりひりと熱い頬をさすった。
 シャンプーの匂いと、腕を引く強い力と、シャツ越しの体温。

 さっきまで血の上った頭では処理しきれなかった色々な要素が、浮かんでは消えた。
 幸太郎ってあんなだっけ。

 明るい目が可愛くて、バカでやんちゃな子どもっぽい奴じゃなかったっけ。
 さっきのじゃまるで――――。

 じりじりと全身の皮膚が焦れる。
 手の甲のマークが緑色に脈打つ。
 ふってわいた火種が煽られ、風向きは変わった……かもしれない。