*蒼side*
医局のどこからか聞こえてくる嫌な咳。
乾いたようでどこか浅く、連続して出そうな前兆を含んでいる。
しきりに打ち込んでいたキーボードから手を離し、椅子をずらして奥のデスクを確認する。
…やっぱりな。
作業を進める指先は不自然なほど早く、そして時折止まりながら動く。
小柄な背中がかすかに上下し、咳を押し殺しているのがわかった。
ペットボトルの水を飲み、もう一度モニターを凝視しながら手元が動く。
外はというと、雨が降り始めた。
相変わらず天気は容赦ない。
医局の窓から見える空はどんよりと濁り、いつの間にか雨粒がガラスを濡らし始めていた。
気圧の急落にともなう湿度の上昇。
嫌な予感が現実味を帯びてきた…。
ふいに席を立った季蛍がそっと椅子を引き、デスクの引き出しに手を伸ばした。
見覚えのある巾着袋を手にすると、入り口に向かって歩き出す。
「おつかれ…」
どうも気まずそうにポツリと呟き、横を通り過ぎていく。
「あぁ…おつかれ」
咎めることも追いかけることも今はしないが、その揺れた背中が医局の外に出て行くまで、目を離せないでいた。
手の中に握られていたのは確実に吸入だろう。


