*蒼side*
「終わったよ。自分で歩ける?」
待合室の端に身を寄せていた夏来は、首を縦に動かした。
不安を隠しきれずに曇っていた顔が、少し明るくなる。
「薬もらって帰ろう。…はい、マスクして」
顎まで下げられていたマスクを口元へ戻し、額に貼り付いた前髪を軽く払った。
「車で寝てていいから」
「うん…」
熱を伝える手のひらを握り取ると、乾いた咳が小さな肩を揺らす。
辛そうな呼吸の音と共に、マスク越しでもわかるほど顔を歪めているのだ。
「…ん?」
モゴモゴと動いた口元に耳を寄せると、微かに声が聞き取れた。
「アイス、食べたい」
「…わかった。あとで買おう」
俯いたまま頷く様子に、思わず手のひらを頭に乗せた。
「誕生日会、絶対やろうね」
「…今日は寝てなきゃいけないんでしょ?」
「今日はね。元気になったらみんなでやろう」
一年に一度の特別な日。
この小さな手を、初めて握った日。
あの日のあの時間が、今は強く脳裏に浮かぶ。
「よし、早く帰るぞ」
一度離れた手を再び握り直したところで、視界に白衣をまとった姿を捉えた。
夏来に向けたものか、マスクをしていてもわかるほど柔らかい表情をしている。
「やっぱり」
そう言って笑うと、視線を横へと移した。
「風邪?」
「うん、そんなところ。喘息酷くて」
「そうか。咳が辛そうだな」
「本当は様子見したかったんだけど」
「あぁ、そういえば誕生日だ」
数日前の会話でこぼした話が記憶に残っていたようで、どうやらピンと来たらしい。
夏来の目線まで腰を下ろすと、優しく笑いかける。
「お誕生日おめでとう、少し見ないうちに大きくなったね」
「うん、もう泣かない」
「さすが!またお兄さんになったんだな」
「…でも、本当はちょっとだけ泣いちゃった」
と、自ら診察時に泣いたことを告白し、奏太を笑わせた。
呼吸の辛さに涙が出てしまっただけ。
先生の診察も静かに受けていたし、何も問題はなかった。
俺はきちんと見ていたよ。
「お!いいの持ってるね」
見せつけるように掲げられた右手には、ヘリコプターのミニカーが握られている。
気がついた奏太に車体を見せながら、どうやら自慢気だ。
「ドクターヘリだ!カッコイイな」
「プロペラ回るんだよ」
「本当だね。大きくなったらドクターヘリに乗るの?」
「うーん…」
プロペラを指先で回しながら黙り込むと、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「まだこわいからわからない…」
「はは、そうか。そうだな」
「まだわからないよな」と笑いながら夏来の頭を撫でた奏太が、再び声を掛ける。
「今度プレゼントを持って行くよ。何が欲しい?」
「…ほんとう?」
その問いに奏太が頷くと、顔色を伺うように視線を向けてきた。
「お願いしたら?何でもくれるかもしれないな」
「……」
「じゃあ夏来くん、決まったら教えて」
「わかった…!」
「まずは風邪、治してね」
「うん、頑張る」
顔がパッと明るくなっていた。
心なしか、声に覇気が戻った。
「引き止めて悪かったな」
「いや、本当に落ち込んでいたから助かった」
「思っていたより元気そうで安心した」
「奏太にはすぐに心を開く」
「そうか?嬉しいけど」
「あ、気使わなくていいから」
「うん、でも希望は聞いておいて」
「…ありがとう。そんなつもりじゃなかったんだけど」
「いいの、俺が渡したいだけ」
そう言って夏来に再び視線を合わせると、手のひらを左右に振った。
「お大事に」


