神谷が教室のドアを開けると、クラッカーの破裂音とともに虹色のテープが神谷の頭上にかかった。

「神谷、退院おめでとう!」

 その日は、神谷が教室復帰する日だった。予定より一ヵ月も早く退院した神谷は、クラスメイト達に盛大に迎えられた。

「なんだよ、お前ら。俺がいないからって寂しかったのか?」

「寂しかったっていうか、平和すぎて飽きたって感じ?」

「そうそう、うるさい奴はひとりいないとじゃん?」

 クラスメイトたちから退院祝いにお菓子の詰め合わせをもらうと、神谷は器用に袋を指にひっかけて松葉杖をつきつつ席に着いた。神谷の右足にはまだギプスが巻かれている。しばらくは、部活はおろか運動もできない状態だ。

「やっぱ俺がいないとみんな寂しいってさ。な、篠原?」

 神谷はいつものようにふざけた口調で咲乃に言うと、咲乃は微笑んでうなづいた。

 神谷が席につくのを見計らって、彩美が何かを後ろ手に隠しつつ近づいてきた。

「おはよ、神谷くん」

「あー、はよ」

 カバンの中のものを机の上に出しつつ、お座なりに答える神谷に、彩美は可愛い顔をニコニコさせた。

「神谷くんが今日退院するって聞いたから、お祝いのお菓子を作ってきたの。よかったら食べて?」

「え、マジ? 俺に?」

 神谷は驚いて、彩美をまじまじと見つめる。彩美が何の意図もなく、咲乃以外の男子に手作りお菓子を持ってくるなど、前代未聞の出来事だ。

「何照れてんだよ」

 男子の一人が、ニヤニヤしながら神谷の背中を叩く。神谷は戸惑った様子で、背中を叩いた男子の方を振り向いた。

「照れてねーし。何かのドッキリだろ、これ」

「ドッキリなんて酷い。せっかく持ってきたのに」

 彩美は少しだけ怒ったそぶりで頬を膨らませた。

 神谷の机の上に、丁寧にラッピングされた小さな巾着袋が置かれる。ラメの入った透明の袋には、きれいに形が整ったおいしそうなクッキーが入っていた。

 男子たちがひゅーひゅーと囃し立てるのを、神谷は未だ警戒した様子で、机の上のクッキーを睨んだ。

「この黒いの何だよ。ハムスターのうんこか?」

「チョコチップに決まってんでしょバカ! なんでそんなに警戒すんのよ!」

 神谷が恐々尋ねると、彩美はますます膨れた。

 神谷は疑心暗鬼のまま、恐る恐る袋の中からクッキーを一枚とりかじってみた。

「うめぇな、普通に」

 神谷の戸惑ったような感想を聞いて、彩美はくるりと男子たちの方へ身体を向けた。

「多く作りすぎちゃって、みんなの分も持ってきちゃった」

 てへっと可愛らしく舌先を出す。己の顔面偏差値を自覚し計算された愛らしい顔は、見事周囲の男子たちの心を射抜いた。ここ一番に上がった歓声は、神谷が登校してきた時よりも大きい。

 「クソあざとくてムカつくんですけど」

 女子の方から吐き捨てるような呟き声が聞こえた気がしたが、男子たちの歓声に消され、誰も聞いていない。
 彩美は男子ひとりずつに、お菓子の袋を配った。皆、神谷と同じクッキーの入ったラメ入りの透明な袋を手渡される。
 神谷は、彩美が咲乃に渡した袋を目ざとく見つけて叫んだ。

「待て待て待て! お前の俺のよりでかくねーか!?」

「えー、そうかなぁ? みんな平等に作ってきたはずだけど?」

 彩美は、わけがわからないというような表情を浮かべた。
 しかしどう見比べても、咲乃のクッキーだけが明らかに他のクッキーよりも一回り大きく見えた。しかも味のバリエーションも違う。神谷を含むほかの男子に配られたクッキーはチョコチップのみに対し、咲乃のクッキーは抹茶やイチゴチョコチップのクッキーが入っている。
 山口彩美は、神谷亮の退院祝いを都合の理由にして、咲乃に渡すつもりでお菓子を作ってきたのだ。

「俺の退院祝いじゃねえのかよ!」

 神谷が歯噛みしながら言うと、友人がそっと神谷の肩に手を置いた。

「山口さんにお菓子をもらっただけでも、奇跡と思うべき」

 神谷が後ろを振り向くと、お菓子袋を抱えた男子たちは悟ったような遠い目をしていた。