「シ……シツレイ……シマス……。ツッ、ツダナルミ……デス」

「あなたが津田さんね! どうぞどうぞ、遠慮しないで!」

 相談室で迎えてくれたのは、50代前半くらいの細身の女性だった。おかっぱ頭で丸い眼鏡をかけ、薄いピンクのフリル付きブラウスに、膝丈までのタイトスカートを履いている。

 先生は目尻のしわを寄せて微笑むと、入口のすぐそばにあるテーブル席にわたしを案内した。

「はじめまして、私はスクールカウンセラーの日高豊子(ひだかとよこ)です」

「ヨ……ヨロシクオネガイシマス……」

 目尻のしわとほうれい線を深くして微笑む先生に、わたしは冷や汗をかきながら、おずおずと頭を下げた。怖い人ではなさそうだけど、大人と喋るのはどうしても苦手だ。初対面の人ならなおさら緊張してしまう。

「津田さん、久しぶりの学校はどう?」

「……ナ、懐カシイ……デス……」

 震える声で小さく答えると、日高先生はうんうんと何度もうなずいた。

「そうねぇ。殆ど1年ぶりだもんねぇ。今日は初日だから、津田さんの事をもっと知りたいと思っているのよ。普段どんなことをして過ごしているのか、色々聞いてもいいかしら?」

「ハ……ハイ……」

 小さな声で答えると、先生はにこにこ笑って頷いた。

 さっそく先生は、わたしに普段何をして過ごしているのかを尋ねた。
 わたしが普段、篠原くんと勉強していることを伝えると、先生は、どんなふうに勉強しているのかと聞いてきた。わたしは、あらかじめ持ってきていた問題集やノートを先生に見せた。

「へぇ、大したものねぇ。自宅学習だけでこれだけやれるなんて。津田さん、頑張ったのねぇ!」

 先生は驚いた様子でノートを捲った。

「シ……シ……篠原くんノ、オカゲ、デスカラ……」

 感心したように言う先生に、わたしは小さくなって答えた。
 勉強を続けられたのは、全部篠原くんのおかげだ。わたし自身は、何もすごいことをしていない。

 先生はノートを閉じると、ゆっくりと首を振った。

「例えそうだとしても、続けた事実は変わらないわ。2年生の範囲は、これから冬休みにいくらでも取り戻せるし、この様子なら進学だって、難しくないんじゃないかしら」

「進学……」

 来年には3年生だってことはわかっている。それでも、ずっと、考えないようにしていた。
 胸のあたりに、押し付けられるような重みを感じる。苦しくて、息を吐くのもやっとだ。

「津田さんは、将来やりたいこととか、考えたことない?」

「ナイ……デスネ……」

「じゃあ、好きなこととかは?」

「トクニ……ナニモ」

 わたしが好きなことは、漫画を読んだり、アニメを見たり、ゲームをしたり、動画投稿サイトで動画を見るだけ。生産性のあることは、なにもしていない。

「あら、そう? 興味があることとか、何もないの? 本当に何も?」

 俯いたまま、首を横に振った。
 BLが好きだなんて、初対面の人には絶対に言えない。アニメや漫画の話をしても、先生わからなそうだし……。

 何も言えずに困っていると、先生は気にしていないというふうに微笑んだ。

「こんなおばさんじゃ嫌かもしれないけれど、先生、津田さんとお友達になりたいの。もう少し仲良くなったら、教えてくれるかしら?」

「……エッ……。マァ……ハイ……」

 先生、じゃなくて、お友達? しかも、相手は大人だ。"友達”というのは無理があるような気がするのだが……。わたしが困ったまま頷くと、先生は明るく笑って、パンと切り替えるように両手を叩いた。

「それじゃあ、これから相談室でどうしていくのか話していきましょうか」

 先生は戸棚に近づくと、長方形の箱をとりだした。何語かわからない筆記体の文字と、白地にブラウンで植物のツタを模した、シンプルかつ上品なデザイン。箱の蓋を開くと、中には個包装されたいろんな種類のクッキーが、区分けされた仕切りの中で礼儀正しく並んでいる。わたしが普段食べている、スーパーの安物クッキーじゃない。明らかにこれは、デパ地下の高級クッキーだ!

 先生は、電子ケトルからカップにお湯を注ぎ始めた。カップに沈んでいたティーバッグから緩やかに赤橙色が広がる。十分、お湯と紅茶が馴染んだころ、わたしの前に紅茶が差し出された。