「あっ、あれはその……若気のいたりというか、何と言うか……」

 わたしの初恋は小学6年生の頃だった。クラスのある男子に淡い恋心を抱いていたわたしは、“消しゴムに好きな人の名前を書いて、最後まで使い切ると恋が叶う”と言う、おまじないの定番中の定番をまさに実践してみたことがあったのだ。

「津田さんの初恋? 可愛い時代もあったんだね」

 にこにこ笑った篠原くんの言い方の中に茶化すような響きがあるのを感じて、むっとした。わたしだって現実の男子に憧れてた時くらいあったわ。

「なるちゃんたら、その消しゴム床に落としちゃって、本人の前で名前が丸見えになっちゃったんだよねー」

 うわぁぁぁぁぁぁぁ! ちなちゃんやめてよぉぉぉぉ、わたしの黒歴史ぃぃぃぃぃぃ!

「それでみんなに知れ渡っちゃって大変だったんだよね!」

 心の中に固く封じていた思い出を簡単に喋っちゃうなんて。酷いよ、ちなちゃん! 

「それは大変だったね」

 篠原くんにまで笑われてるし。あーもう、最悪。

「その人はなんて言う人なの?」

「新島悠真《にいじまゆうま》くんだよね、なるちゃん!」

 ちなちゃん……。

「そっか。津田さんにもそういう時期があるんだ」

 笑い過ぎて涙目になってる篠原くんを怒るにも怒れなくて、わたしは不貞腐れてチーズケーキを頬張った。

 えぇ、ありましたとも。わたしのトラウマの一つとしてね。

「稚奈、篠原くんの恋愛の話聞きたい! 篠原くんの初恋っていつなの?」

 ちなちゃんの目、キラッキラだ。ちなちゃんって、昔から恋バナ好きだったもんなぁ。

「うーん。ないんじゃないかな、少なくとも俺が覚えている範囲では」

 篠原くんは、少しだけ考えるそぶりをした後、にこやかに笑って、ちなちゃんから浴びせられる期待の眼差しを軽やかに流した。

 恋愛の話に縁が無さ過ぎるわたしには、関係のない話だ。恋愛だって、このマドレーヌの甘さには敵わない。
 チーズケーキ、もう一切れ食べても良いだろうか。

「えーそうなの!? でも、篠原くんすごくモテるでしょ? 告白は? 今までどのくらいされたの?」

「期待されているほどでもないよ」

「じゃあー、好きなタイプは? どんな子が好き?」

 ちなちゃんからの質問攻撃に対して、篠原くんは微笑んだままあやふやに応えるだけでイエスともノーとも言わない。あまり恋愛話(そういうはなし)は好きじゃないのかな。

「4組の小林莉子《こばやしりこ》って子、知ってる? 篠原くんの事、気になってるんだって」「篠原くん、山口彩美さんと仲が良いって聞いたけど、もしかして付き合ってたりするの?」「知ってる? 3組の加山くん、彼女いるんだって!」「今度、うちの友達とカラオケ行くんだけど、良かったら――」

「津田さん、マドレーヌ美味しいね」

 篠原くんに話しかけられて、わたしは、口の中にたくさんマドレーヌを詰め込んだまま、こくこく頷づいた。

「ジャムを付けるともっと美味しいよ。色んな種類を用意してあるから、試してみない?」

 まじか。

 口の中をぱんぱんに膨らませたまま、目の前に並べられたジャムの瓶を手に取った。イチゴとブルーベリー。どっちのジャムを付けようかな。






 夕飯の後、お風呂から出たわたしは、ベッドの上に寝転んだ。本当は、今日の分の課題をやらなきゃいけないんだけど、今日みたいに楽しい時間を過ごした日に勉強なんてやる気にならない。

「……30分……いや、あと1時間したら勉強しよ……」

 そんなことを、うとうとしながら考えていると、ちなちゃんからLINEが届いた。


『なるちゃん 今日はありがとう◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡ お菓子作りすごくたのしかった(⋈◍>◡<◍)。✧♡ またやろー(*ฅ́˘ฅ̀*)♡』

 今日は本当に楽しかったなぁ。チーズケーキも、マドレーヌも美味しかったし。

「うん!絶対に、また三人でやろうね」送信。

『うん♪ .◦(pq*´꒳`*)♥♥*。やろ! 次こそは 篠原くんの恋愛 聞きたいし(๑•̀ㅂ•́)و✧』

 ちなちゃん、全く諦めてないんだな。

『今日こそ篠原くんの秘密を握るチャンスだったのに(๑-﹏-๑) なんで全然話してくれないんだろう?(´_ _`)シュン』

 篠原くんの事を知りたいと思うちなちゃんの気持ち、よくわかるよ。わたしも篠原くんの事、知らないことばかりだもん。