ヤツが来なくなってから3週間が経った頃、その日はお昼を過ぎると急の大雨が降り出した。

 部屋の中で過ごす雨の日は嫌いじゃない。雨の音って安心するし。ぼんやり窓の外を眺めて、外で立往生をしている人たちのことを想いながら、ひと時の優越感にひたる。こんなに降られちゃって、外にいる人たちはさぞかし大変だろう。

 よかった、ひきこもってて。


 親は仕事だし、お姉ちゃんも外出している。今日一日、家にいるのはわたしだけ。何時間でもアニメを見続けたり、ゲームをしたっていい。マンガをリビングに持ち運んでお菓子やジュースを飲みながら、ソファでゴロゴロしたっていいのだ。お留守番、最高。自由、最高!

 さっそくゲームを起動させた。

 ピーンポーン。

「なんなの。こんなときに」

 これから遊ぼうって時に、突然、玄関のチャイムが鳴った。
 宅配便? めんどくさいから居留守つかっちゃおうかな。でも、後でお母さんに文句言われそう。

「今いいとこなのに……」

 ぶつぶつ文句をたれながら、インターホンのモニターを見る。画面に映ったものに、思わず目を見張った。

「……だ、だれ……?」

 英至(えいじ)中の制服を着た……男の子。ぜんぜん知らない子だ。っていうか、何で制服? 今日は学校お休みだし、そもそも、わたしに男子の知り合いなんていない。……いや、まさか……。だって、3週間も来なかったのに、何で今更。

 ピーンポーン。

 再びチャイムが鳴って、恐怖でびくりと肩が震えた。
 頭の中はパニックだ。ヤツの考えてることがわからない。
 怖いから、無視する? でも、向こうは、ひきこもりのわたしが家にいることを分かっていて来たはず。……無視して恨まれたりしない? いじめは何がきっかけになるか分からないし、これで嫌がらせされるようなことがあったら……?

 わたしは恐る恐る、もう一度インターホンのモニター画面を覗いた。あらためて画面を見てみると、ヤツの制服がぐっしょり濡れているのがわかる。来る途中で雨に振られたのだ。こんなどしゃ降りの中、わざわざうちに来なくても……。
 今日は気温も低めだし、雨はしばらく止みそうもない。このままでは、風邪をひいてしまうかもしれない。それだけは、多少良心が咎められる。
 散々悩んだ挙句、わたしは玄関のドアを数センチほど開けて、余っていたコンビニのビニール傘を差し出した。
 これあげるから帰ってください。

「……」

 開いたドアから突然手が伸びて驚いたのだろう。外で息を飲む僅かな音が聞こえた。

「……もしかして、津田さん……?」

 そうですけど、人違いです。帰ってください。

 わたしはさらにビニール傘を持った手を突き出した。

 傘を受け取ったらすぐに手を引っ込めるつもりだった。まさか、手首ごと掴まれるなんて思ってもいなかったし、そのまますごい強さで引っ張られるなんて予想外だった。
 身体が前のめりに倒れる。転んでしまうと思って、びっくりして目をつむった。

 頬から伝わる、クッションよりもかたくて石よりも柔らかい不思議な固さと、しっとりぬれている布の感触。衣服の上からでも感じ取れる人間の体温。
 上から水滴が落ちてきて、わたしのおでこを伝った。恐る恐る顔を上げると、ぎょっとするほどきれいな顔が目の前にあった。

「やっと会えたね、津田さん」

 にっこりと微笑んだ美少年の顔を見て、頭の中が真っ白になった。




 *


 ナニコレ、一体これ、なんていう状況……?

 篠原くんの方を見られずに、かちこちに緊張したままソファーに座る。篠原くんは、新しくジャージに着替えてタオルで頭を拭いていた。

 ナ……ナンデ、こんなことになったんだろう。今日は留守番しながら、楽しく自由に過ごす予定だったのに……。

 水が滴ってくったり張りついた前髪、すこしだけ湿っている白い素肌、ジャージからのぞくつややかな胸元。赤みのあるくちびるはしっとり濡れていて、あまりの美しさに目が焼かれそうだ。
 雨に濡れた篠原くんは、たった中学生にしてはすでに危険な色気を放っていた。異性に耐性のない陰キャ腐女子の許容量をはるかに超えている。

「ジャージ貸してくれてありがとう。ごめんね、気をつかせてしまって」

「イッ、イエ……ゼンゼン」

 ジャージはお父さんの部屋から拝借したものだ。ダイエットのため運動しようと数年前に新しく買ったものだけど、ビニール包装がされた新品のきれいな状態のまま、結局使わずにしまわれていた物だった。

「制服だけど、帰るまでお風呂場で乾かしていて良い?」

「ドッ、ドウゾッ……」

 まともに篠原くんのほうを見られない。男子が近いというだけでも無理なのに、美少年が隣に座っているなんて心臓が壊れそう。息も出来ない。今すぐここから逃げ出したい!