「それで、あの日ひとりで謝りに行こうとしていたんだ?」

 結子とバーガーショップの前で彩美と鉢会わせたとき、彩美は、紙袋を持って神谷への病院へ向かっていた。

 咲乃が尋ねると彩美は小さく頷いた。

「神谷くんに、今までのことを謝ろうと思ってたんだ。でも、結局あの後そのまま家に帰っちゃって……」

 項垂れる彩美は、咲乃から見ても、心から反省しているように見える。

「私、今度こそは神谷くんに謝らなきゃ。……篠原くん、協力してくれる?」

 彩美は目を潤ませながら、上目遣いになって咲乃を見つめた。ここぞとばかりに、咲乃に擦り寄ろうとする彩美に、咲乃はにっこりと顔面に笑顔を貼り付けた。

「きっと神谷なら許してくれるよ。頑張って山口さん」

 咲乃は、病院の方へ目を走らせた。

「そろそろ、病室に戻ろうか」

「え?」

 微笑んで言う咲乃に、彩美はなぜ今出て出たばかりの病室に戻るのかわからず、目をパチクリさせた。







 初めて彼を目にした時、読んでいた恋愛小説のヒーローが現実に現れたのだと思った。
 日に当たるときらきら輝く茶色い髪色と、白く滑らかな肌。色づきの良い唇に、背の高い細身の体躯。印象的なのはその目だった。前髪の下に切れ長の目。全身から清涼な空気と清廉さを纏っているのに、瞳だけは暗澹とした鈍い光を宿している。

 一目見て、何処かへ消えてしまいそうだと感じた。私はその不思議な空気を纏った彼に目を奪われて、周囲の雑音が聞こえなくなってしまった。
 黒板の前に立ち、担任に自己紹介を促されると、彼は涼やかな優しい声で言った。

「――から来ました、篠原咲乃です。よろしくお願いします」

 それだけが、はっきりと私の耳へ届いた。






 小学生の頃から、私はおまじないが好きだった。図書室でおまじないの本を借りたり、インターネットで調べたりして、私は色んなおまじないを試した。人前に出ても緊張しないおまじないとか、永遠の友情を誓うおまじないとか。本当に叶ったものもあれば、叶ったのかどうかもわからないものもあったけど、それでも、叶うかもしれないというドキドキが好きで、夢中になっておまじないのことを調べたりしていた。

 中学生になれば、全部気の持ちようだと考えるようになって、おまじないなんて信じなくなってしまったけど、それでも、篠原くんに恋をしてから、いろんな恋のおまじないを、友達と一緒に試すようになった。おまじないをしていると、辛い恋も気休めにはなるような気がするから。
 
 赤い糸のおまじないも、試してみたものの一つだった。今まで、一言も篠原くんとしゃべれないまま過ぎていくんだと思っていた私の日常は、そのおまじないのおかげで、少しだけ変化があった。


「ねぇ、結子。このおまじない、試してみない?」

 理央はそう言って、サイトに載っていたおまじないを私に見せた。そこには、『超強力、絶対に両想いになるおまじない』と書かれていた。

「何が必要なの?」

「ええっと……A4サイズの白い紙と、赤いペン、それから、自分の名前と住所と、好きな相手の名前と、その人の住所だって」

「篠原くんの……住所?」

 そのおまじないは、A4サイズの紙を半分に折り、右側は好きな人の名前と住所を、左側に自分の名前と住所を書き、満月の夜にろうそくの火でその紙を燃やす、という儀式めいたものだった。

「このおまじない、結構、叶うみたい。コメントに、『好きな人に告白されました』とか、『願いが叶いました』とかたくさん書かれてるし、やってみようよ!」

「でも、篠原くんの家の住所なんて、私、知らないよ……?」

「そんなの、後を付けて行っちゃえばいいじゃん!」

「えっ!?」

 私は、理央の大胆な発言に驚いた。後を付けるなんて、なんだかストーカーじみている。さすがの結子も気が引けた。

「で、でも、そんなことしたら、迷惑じゃない?」

「見つかったら、そりゃあね。でも、篠原くんを狙ってるライバルは沢山いるんだし、これくらいしないと結子の気持ち届かないと思わない?」

 理央にはっきり言われて、胸の奥がズキンと痛んだ。思わず、右手で左手の小指を握りしめる。おまじないの力を借りないと、私は篠原くんと話もできない。振り向いてもらえない。
 それでもその時は、勝手に後を付けることに抵抗感を覚えて、新しいおまじないを試すことは諦めた。

 だけどその後、結局私は篠原くんの後をつけた。
 焦っていたのだ。早く"両想いになれる”おまじないをしないと、山口さんに篠原くんを取られてしまうと思ったから。