神谷の病室は、3階の大部屋だった。窓際のベッドに神谷がいて、仕切りのカーテンを開け放し、スマホでゲームをしている。大部屋には神谷しか入院していないようで、他のベッドは空っぽだった。

「篠原、やっと来たのかよ」

 神谷は、咲乃たちに気づくと、イヤホンを外してニカっと笑った。ギプスが巻かれた右足は痛々しく見える。

「ほら、見舞いの品貰ってやるからさっさと出せ」

「元気そうでなによりだよ」

 当然のように催促する神谷に、咲乃は顔面に笑顔を貼り付けた。

「か、神谷くんこんにちは」

 結子は緊張したようにおずおずと頭を下げる。神谷は人懐っこく、にかっと笑った。

「おう、中本も来てくれてありがとな!」

 教室で、結子と神谷が二人で会話しているのを見たことがない。面と向かって話したのは初めてなのだ。恥ずかしそうに萎縮する結子に、神谷は構わず結子に話しかけた。

「言っとくけどな、こいつは止めといた方が良いぜ。表に出してないどす黒い物いっぱい抱えてるから」

「神谷」

 咲乃が窘めると、神谷はニシシと調子良く笑った。

「昨日は、クラスのみんなが来てくれたんでしょう? その時、たくさんもらわなかったの?」

「あぁ。なんか、やたらいろんな種類のジュース持ってきてた。菓子持って来いよな、全く!」

 不満そうに言う神谷に、咲乃は笑った。

「お前が急に入院するから、みんな、神谷のこと心配していたよ。俺たちもちゃんと持って来てあるから、そんなに怒らないで」

 そう言って咲乃が、手に下げたエコバッグを掲げる。不満げな神谷の顔が、一瞬にして変わった。

「いやー、気ぃ使わせちまって悪ぃなー!」

 全く悪いと思っていない顔で、神谷が礼を言った。
 咲乃は持っていたエコバッグから、500mlのペットボトルを三本、ベッドテーブルの上に置いた。

「……水……? 冗談、だろ……?」

 富士山の天然水が、神谷の前に並ぶ。フルーツのフレーバー水ですらない。ただの水だ。

「軟水にしておいたから飲みやすいよ。お菓子やジュースに比べたら身体にやさしいし、薬も飲めて実用的でしょう。沢山水分を取って早く元気になってね」

「……身体にやさしいって、俺が求めてる優しさはこれじゃないんだよな」

「一応、硬水も買ってあるから」

「飲みやすさの問題じゃねぇんだよ」

 にこっと笑った咲乃の顔を、神谷は恨めしそうに睨みつけた。わざとやっているのは明らかだった。

 咲乃は、近くにあったパイプ椅子をふたつ、ベッドの近くまで引き寄せると、片方を結子に座らせた。神谷に近い方の椅子に咲乃が座ると、改めて真剣な顔で神谷を見た。

「それで? 寝不足による事故だって聞いたけど」

 咲乃に真っすぐ見つめられると、神谷は、気恥ずかしそうにへへっと頭を掻いた。

「いやぁ、ゲームがすげー面白くて、止め時が分かんなくてさぁー」

「ふぅん」

 咲乃は疑わし気に神谷を見た後、素早くテーブルの上にある神谷のスマホを奪い取った。

「あっ、スマホ返せ!」

 神谷が慌てて手を伸ばすと、素早く神谷の顔を認証させてスマホのロックを解除した。咲乃は椅子から立ち上がり神谷の手の届かない位置に移動する。

 騒いでいる神谷を無視しつつ、LINEのトークリストから直近のトークを片っ端から開く。神谷を心配するメッセージが並ぶ中、あるトーク画面を開いて見せた。

「これ何?」

「なっ!」

 LINEトーク画面には、試合当日の夜中の1時頃に3時間ほどの通話履歴が残っていた。

 うろたえ始めた神谷に、結子は困った顔をして咲乃と神谷を交互に見た。一体ふたりが何でもめているのか、わかっていないのだ。

「ごめんね、中本さん。一緒に来てくれて悪いけど、席を外していてくれないかな?」

 咲乃がにこりと笑ってお願いすると、結子は不安そうな顔をしてうなずいた。

「待合室で待ってるね」

「うん。ありがとう」

 結子が病室から出て行くと、咲乃は改めて神谷に向き直った。

「随分色々言われているようだけど、神谷ってマゾヒスト?」

 画面をスクロールして、メッセージのやり取りをさかのぼる。神谷に対する罵詈雑言と、咲乃を擁護する文章が、一方的に毎日のように送られていた。

 可愛らしい子犬のアイコンに、“ayami”というアカウント名に、咲乃は覚えがあった。

「これ、山口さんだよね。最近やたらお前に突っかかるなとは思っていたけど」

 それにしてもこれは悪質すぎる。本人は咲乃のためを思ってやっているつもりなのだろうが、こんなこと、咲乃が望んでいるわけではない。

「神谷が嫌がらせを受けていて、それが原因でこんなことになっているんだとしたら、俺はそいつを許さない」

「ちょっ、ちょっと待て! これは嫌がらせなんかじゃねーんだって!」

 よほど咲乃が怖い顔をしていたようだ。神谷は慌てて声を上げた。