神谷の話は他クラスまで広まり、ある種の騒ぎになっていた。事情を知っているバスケ部の部員の話によると、試合中、相手チームのボールパスを阻止する際、ジャンプの着地に失敗し、右足首を骨折してしまったようだ。原因は、睡眠不足が原因だったらしい。完治には、手術とリハビリが必要で、2カ月ほどの入院が必要だという。

「神谷の体調不良、誰も気付かなかったのか?」

「全然。顔色とかも普通だったし、いつも通り元気そうだったから誰も気付かなかったんだ。タジちゃんだって、体調が悪いとわかっていたら出さなかったはずだし」

「ばかだなぁ、神谷(あいつ)

 具合が悪いのを隠して、無理に試合に出て怪我したのであれば、神谷の自業自得だ。呆れる半面、みんな、心の中では神谷のことを心配してもいた。

「今日の放課後、みんなで神谷くんのお見舞いに行かない?」

「いいね、行こう行こう!」

「見舞いの定番と言えば花か?」

「神谷は花よりジュースだな」

 神谷のお見舞いの話しで盛り上がるなか、結子は相変わらず、自分の席からその和やかな様子を眺めていた。
 みんなの輪の中にいる咲乃は、笑っているように見えて、どこか悲しそうにも見える。

 遠目から見つめている結子を、咲乃が見返した。唐突に目が合い、結子は慌てて視線を落としたが、すでに咲乃はみんなの輪から抜けると、自分の席で小さくなっている結子の前に立った。

「中本さん、俺と神谷のお見舞いに行かない?」

 咲乃の優しい声が降りかかり、結子は顔を赤くしたまま目を泳がせた。

「篠原くんは、みんなと行かないの?」

 咲乃の誘いは嬉しかったが、彼を取り巻く集団の中に結子が入る勇気はない。結子がおずおずと尋ねると、咲乃は緩く微笑んだ。

「みんなとは別で行くよ。神谷と二人で話したいことがあるから」

「でも、私、理央と行く約束が……」

 結子は申し訳なく思いながら、ちらりと理央の方を見た。これではまるで、理央が邪魔だから一緒にいけないと言っているみたいだ。そんなつもりはないのに、理央に対して罪悪感をおぼえてしまう。

 咲乃は理央に目を向けると、穏やかに笑いかけた。

「田中さんも一緒に行く? 皆で行った方があいつも喜ぶと思うし」

 理央は呆れた顔で結子を見ると、首を横に振った。

「ふたりで行きなよ。私、他の子を誘って行くから」

 理央に軽く背中を叩かれて、結子は限界まで顔を真っ赤にさせた。






 雅之は時計の組み立て作業にふと息をつき、腕を上げて肩や背中を伸ばした。深夜0時をまわっている時計を見て、もうこんな時間かと驚く。
 キッチンの電気ケトルでお湯を沸かし、二つのマグカップにそそぐと、雅之は2階の咲乃の部屋まで運んだ。

 咲乃は、毎晩おそくまで勉強をしていて、時に深夜近くまで起きていることがある。勉強熱心なのは良いことだが、時々ストイックになりすぎる癖があるのを、雅之は心配していた。

「咲乃、少し一休みしないかい?」

 ホカホカ湯気立つココアをもって穏やかに笑うと、咲乃はドアを押さえて雅之を部屋に迎え入れた。

「お友達のこと聞いたよ。明日は、お見舞いに行くんだろう?」

「はい。神谷(あいつ)のことなので、何か要求されそうですけど」

 困ったように笑う咲乃を見て、雅之は穏やかに笑った。

「元気になったら、うちに連れておいでよ。咲乃の友達は、いつ来ても大歓迎だから」

「神谷だけは絶対に呼びません。部屋を荒らされたら嫌なので」

 よほど神谷を家に入れたくないのか、咲乃の口調はきっぱりした物言いだった。咲乃がここまで遠慮のない態度を見せるのは珍しい。
 頭がよく、人を見抜くことに長けた咲乃は、一般の中学生よりも大人びていて、誰に対しても自身の心内を見せることが無かった。最初の頃は雅之にさえ隙をみせようとしなかったくらいだ。そんな彼が、子供らしくムキになるのは、おそらく神谷の前くらいだろう。
 雅之は、引っ越した先が英至町でよかったと、心から思った。昔の咲乃だったら、こう(・・)ではいられなかったはずだから。