「ただいまー」

 夕飯が出来るまでの間、篠原くんと勉強していると、廊下の方からお姉ちゃんの声がした。

「おじゃまします」

 続いて聞こえてきたのは、男の人の声だった。聞き馴染みのない声に、わたしはこっそりドアの隙間から玄関を覗いた。

 長身の筋肉質のがっちりした体型。日焼けした浅黒い肌に、精悍な顔つき。髪の毛を短く刈り込んでいる。
 だ、誰だろう。もしかして、あれがお姉ちゃんの彼氏さん?

「どうしたの、津田さん?」

 篠原くんも、わたしの頭上からドアの隙間を覗いた。

「おねえさんの、彼氏さん?」

「たぶん……」

 お姉ちゃんが彼氏さんを連れてきたの、初めてだ。

「挨拶しないの?」

「うーん……」

 初めて会った人だし、なんだか大きくて怖そうな感じ。しかも、あの口達者で性格がキツイお姉ちゃんの彼氏だ。普通の人ではないんじゃないだろうか。

 悩んでいるうちに、お姉ちゃんたちの姿が見えなくなってしまった。リビングへ行ったのだろう。あの人も、今夜一緒に夕食を食べるのかな。

「俺、挨拶してくるよ」

「えぇっ! ま、待ってくださいよぅ」

 後になって一人で声をかけるのも気まずいと、わたしは慌てて篠原くんの後を追った。

 リビングでは、お姉ちゃんがお母さんに、見知らぬおにいさんを紹介していた。

「来た来た。成海、咲乃くん! こちら、山田優斗(やまだゆうと)くん」

 なるべく目立たないよう篠原くんの後ろにかくれていたのに、お母さんはすぐにわたしを見つけると、こっちへ来いと手を振った。わたしは、おずおずとおにいさんの前に立った。

「はじめまして。きみが郁海の妹の?」

「……な、成海です……」

 人見知りモード発動。おにいさんの顔がまともに見れないまま頭を下げる。

「たしか、中学2年生だっけ。きみは?」

「津田さんの友達の、篠原咲乃です」

「篠原くん、よろしくな」

 篠原くんとおにいさんが握手を交わす。一通り挨拶が済むと、お母さんは切り替えるように手を叩いた。

「さ、夕食の支度しちゃいましょうか。今夜はしゃぶしゃぶよ~」










 ひさしぶりのしゃぶしゃぶは、仕事から帰ってきたお父さんも入れた6人で行われた。いつもは安い豚しゃぶなのに、今日はちょっと値段の高い牛肉を使用している。お母さん、男の子がたくさん来ているからって奮発し過ぎじゃないだろうか。

 お父さんはすっかりお姉ちゃんの彼氏さんが気に入ったようだ。おにいさんの部活が野球部だと知ってから、ずっと野球の話をしている。どうやら、お姉ちゃんの彼氏として正式に認められたらしい。

 人見知りモードが発動しているわたしは、何もしゃべらず黙々としゃぶしゃぶを楽しむことに集中していた。鍋の中で大切に育てたお肉をゴマダレで食べる。口に入れた瞬間、牛肉がほろりと溶けてしまった。

 ほふほふ……おにふ(お肉)、ふぁいふぉー(最高)!

「津田さん、さっきからお肉ばかり食べてる。ちゃんと野菜も食べなきゃだめ」

 久しぶりのしゃぶしゃぶにほっぺを緩ませていると、篠原くんが横からわたしの器に野菜を盛り付けはじめた。

「ちょ、ちょっとやめてくださいよ! 自分のペースで食べてるんです。余計なお世話はいりません!」

「だめ。食事はバランスよくとらないと。さっきから全く野菜に手を付けてないよ。シイタケも食べようね」

「やめてくださいよ! シイタケ嫌いなのに!!」

 わたしの器にどんどん乗っかって、彩り豊かな野菜たちが山になっている。もうお肉を乗せる余裕がないじゃないか。

「咲乃くんの言う通りよ。成海は好きなものしか食べないんだから。ちゃんと好き嫌いせず野菜も食べなさい。咲乃くんは、お肉たくさん食べてねー」

 そう言って篠原くんの器にお肉を取り分けている。お母さんは篠原くんに甘すぎるよ!

「あっ、それわたしのお肉!!」

 気付いたら、わたしが大切に育てていたお肉をお姉ちゃんにさらわれてしまった。隣に座るおにいさんの器に入れている。

「アンタ、さっきから肉独り占めし過ぎ。少しは他の人のことも考えなさい」

「ごめんな、成海ちゃん」

 うぅ……。わたしのお肉が……。

 わたしは悔しさを殺して、がじがじ白菜の芯を食《は》んだ。

「津田さん、人参もいい頃合いだよ。人参も食べようね」

 お願いだから、自分のペースで食べさせて!!!