その日の午後、体育の授業ではドッジボールが行われていた。校庭に描かれた4つのコートで、チームを入れ替えて試合する。出番まで時間のある生徒たちは、それぞれコート付近で応援しながら見学している。その中で、ひと際多くの女子たちが集まっているコートがあった。

「篠原くん、手を振ってー!」

 誰もがその美しさに目を止める話題の転校生、篠原咲乃の周辺は、今日も黄色い声援に包まれて注目の的になっていた。アイドル並みの声援に、すでにこの状況に慣れ切った男子達は、諦めた末の菩薩のような表情をしてその光景を眺めていた。

「篠原ばっかいい顔させられっかぁ! 今日こそ野郎の鼻をへし折ってやらぁ!」

 そんな状況でも、無駄に頑丈で折れない心を持ったひとりの少年がいる。闘志を燃やし果敢に挑まんとするその男子生徒は、親友兼ライバルを自称する男、神谷亮だった。
 神谷の意気込みに合わせて、日ごろから苦い思いをしてきた同チームの男子達が、猛々しく「うおぉおお!」と拳を突き上げた。彼らも自分の野望(モテたい)を胸に咲乃に挑まんとしている。馬鹿の周りに馬鹿が集まるのは世の常だ。

 試合開始のホイッスルが鳴った。ボールを先取したのは神谷のチームで、最も体つきの大きい生徒が全力で投球する。猛スピードで飛ぶボールは、まっすぐに咲乃の方へ向かった。当たれば身体が弾き飛ばされるであろう威力を持ったボールを前にして、咲乃は前に踏み出すと抱き込むようにボールを受け止めた。片足を踏み出しサイドスローで腕を振る。ボールは、地面ぎりぎりを水平に走ると、動き遅れた生徒の足に直撃した。

「篠原を狙うのは一番最後だ。追いかけるだけ時間のロスになる。周りに固まってる奴らを先に狙え。最後に篠原を叩き潰す!」

 神谷が仲間に指示を出しているのを聞いて、咲乃は神谷に、悠然と微笑んだ。

「消耗作戦だなんて、神谷にしては随分回りくどいやり方するんだね。自分たちの戦力不足を吠えているようにも聞こえるけど?」

「勝てりゃあいいんだよ。お前んとこは周りが雑魚だらけで、結局篠原のソロプレイ状態じゃねーか」

 神谷は挑発的にニヤリと笑った。

「いくら篠原ばっか飛びぬけてたって、団体競技じゃ意味ねぇんだよバーカ!」

 こんな時、神谷の厭らしい性格が発揮される。自分は外野側に回り、周囲に的確な指示とパス回しをするのだ。周りの人員配置を瞬時に確認し、より当てやすい人間とポジションを見極めていく。ドッジボールにありがちな、攻撃に躍起にならない神谷のプレイスタイルは彼の美点と言えるだろう。だからこそ、神谷が敵側に回ると面倒なのだ。普段阿保らしく能天気なくせして、こういう勝負事になると突然本気を出すのだから。

 しかし咲乃は、神谷などに勝利を譲る気は更々なかった。相手が神谷だから余計に負けるのが腹立たしかったのだ。神谷亮と篠原咲乃は、“底抜けの負けず嫌い”という点で共通している。とどのつまり、馬鹿の周りには馬鹿しかいないのだ。世の中はそうやって成り立っている。




「篠原くーん、がんばってー!」

 女子たちの応援の中に、当然のごとく山口彩美の姿もあった。神谷の戦法により一人また一人と仲間たちが外へ追い出されていく一方で、咲乃も一人ひとり確実に神谷側のチームを外に追い出しているのを見て、彩美は胸を高鳴らせながら応援した。咲乃が放ったボールが真っすぐ彩美の方へ飛んで行き、顔面に突き刺さるまで、彩美は咲乃の姿から目を離すことが出来なかった。飛んでくるボールなど眼中になかったのだ。

 地面に倒れる彩美に、周囲が騒然とする。人垣をかき分け、誰かが彩美の元へ駆けつけた時、彩美は意識を失った。






「う……うぅん……あれ……?」

 目を開くと、彩美は白いベッドに横たえられていた。ベッドの周りには白いカーテンで仕切られ、外から見られないようになっている。
 ここはどうやら保健室のようだ。目を覚ましたばかりで、窓から降り注ぐ眩しさに目をしばたたかせていると、不意に視界の隅で陰が動いた。

「山口さん、大丈夫?」

「しっ、篠原くん!?」

 人物の姿がはっきりしてくると、彩美の頭の中はパニックになった。
 心配そうに彩美の様子を伺う咲乃は、それはそれは美しいものだった。彼の白い肌は、保健室の白い壁に溶け込むように輝いていて、赤みを帯びた唇が鮮明に映え、より彼があでやかに見えた。