まったく何一つ状況が分からないまま、ひと気のない場所に連れて行かれてリンチを受けそうな様子もなく、わたしは新島くんと帰路についていた。
 どうやら危害を加えられることはないようだと分かったものの、この状況が理解出来なさ過ぎてずっと怖い。それに、空気も重いし、気まずいし、お腹も痛い。

「津田さんって、なんも喋んないの?」

「ヒッ!」

 新島くんに話しかけられて、思わず心臓が飛び上がる。まともではないわたしの反応に、新島くんはすごく嫌そうな顔をした。

「普通さ、こういう時って何か喋んない? もう少し気をつかってよ」

 そもそも、わたしだって関わりたくないのに、とんだ言いがかりだ。

「……なんで、コイツなんだよ」

 わたしとの会話を諦めると、新島くんは恨めしそうに独り言をこぼし始めた。

あいつ(・・・)、マジで変な奴とばっかり付き合うよな、クソッ。俺にした唯一の頼みごとがコイツって……」

 両手で顔を覆い、おもいっきり呻いている。なんかよく分からないけど、新島くん的にも、わたしとは関わり合いたくなかったらしい。ブス嫌いだもんな、この人。

「しかもまともなこと何一つ喋んねーし。これから、どう付き合えつーんだよ……」

 なんか、すいませんね。コミュ障ブタで。

 新島くんの恨み言を聞いているうちに、不思議なものでだんだんと気持ちが落ち着いてきた。なんで新島くんと一緒に帰ってるのかは分からないけれど、どうやら新島くんも、何らかの被害者ではあるらしい。

「……あの」

「なに」

 うわ、すっごい冷たい声。わたしのこと、めちゃくちゃ嫌いなんだなぁ。

あいつ(・・・)って……だれ、ですか……ね……」

「あ?」

 ひぃぃぃぃ、やめてよそれ怖いんだからさぁ! そんなに嫌ならなんで一緒に帰ろうって言ったんだよぉ……。

「あのさ、いちいちビビんのやめてくんない? ムカつくんだけど」

「……ス……スミマセン……」

 怖がらせてくるのそっちじゃん。

「俺だって、あんたとなんか関わりたくないよ。でも……約束だからさ」

「……やくそく……?」

「まぁ、罰ゲームみたいなもんかな」

 やっぱり! こんなの絶対に罰ゲームだって思ってた!
 だとしたら、『嫌いな人と一緒に帰る』っていう罰ゲームをしてるってこと? やってる方は楽しいんだろうけど、やられる方は傷つくから、そういうのはやめてくれって思うんだけど。

 その後も大して会話は無いまま、わたしの家の前にたどり着いた。

「あの、ここがわたしの家なんで」

「へぇー」

 興味なさそうに、マンションを見上げている。

「何号室?」

「305号室です」

「……」

「……」

 謎の沈黙。

「それじゃあ……」

 さようなら……と言いかけたところで、新島くんは何も言わずにマンションのエントランスをくぐった。






「どうぞ……お茶です……」

「どうも」

 麦茶を入れたコップを新島くんの前に置く。新島くんがコップに口を付けるのを観ながら、なんでこんなことになっているのかと必死に理解しようとしていた。
 ひょっとして、新島くんの罰ゲームは、『嫌いな人と一緒に帰る』だけではないのか。もしかしたら、罰ゲームの中に『嫌いな人とお茶を飲むこと』も含まれているのかもしれない。

「……ア……アノ」

「あ?」

「あの……ばっ……罰ゲームって……。今日だけ、ですよ、ね?」

 え、まさか今日だけじゃないの? まさかの長期? それって一週間? それとも一ヵ月間?
 できれば早めに自由にして! お願いだから!

「あんた、本当に今日だけでいいと思ってんの?」

「はぇ……?」

 なんの脈絡もなかったので、訳もわからず聞き返すと、新島くんにじろっと睨みつけられた。

「あいつが、あのままあんたを放っておいてくれるって本気で思って言ってる?」

「え……え……?」

 あいつが誰のことを言っているのか全く思い至らなくて困惑したが、遠藤さんのことを言っているのだとようやく理解することができた。

「自分を振った元カレが、昔いじめてた女を庇ってるなんて、そんなの沙織(あいつ)が許すわけないでしょ」

「そ……それは……」

 許せるような人ではない。だって、遠藤さん、プライド高いし、嫉妬深い人だから……。

 わたしが遠藤さんに目を付けられるようになったのも、消しゴムを使った恋のおまじないの話が、遠藤さんたちに知られてしまったことがきっかけだった。

「ブタの癖に新島くん夢みてんのウケる」「鏡見ろよブス」

 さんざん遠藤さんに馬鹿にされた。もう、新島くんのことは好きじゃないって言っても聞いてもらえなかった。恰好の笑いネタをしつこくいじられているうちに、それが人間否定に繋がって、小さな嫌がらせを繰り返されて、悪質ないじめへと変化していた。
 デブスが自分の好きな人に恋心を抱いていること自体が許せなかったのだろう。たとえ、それが過去の話しであっても関係がないのだ。しかもそれが、新島くんに振られた時の話だったとしても。

「で、でも、新島くんがわたしを庇ってくれたのも、全部罰ゲームのせいなんですよね? だったら、新島くんが遠藤さんに説明してくれれば……」

 今朝のことも、帰りのことも、全部罰ゲームのせいであって、他意はないのだと新島くんが説明すれば、遠藤さんの誤解は解けるはずだ。

「なんで、いちいち別れた女の誤解解かなきゃいけないわけ?」

「え……」

 あまりの冷たすぎる言い草に、返す言葉がなかった。たとえ別れたとしても、今まで付き合っていた人じゃないのか。

「それにあいつ、俺のことがなくても、またあんたをいじめてると思うよ」

 その言葉に、血の気が引いた。

「もし、一度殺したはずの害虫がまた元気に復活していたら――俺だったらもう一度潰してる。あんたが復帰したことを沙織に知られた時点で終わったと思っていい。クラスが別だろうと関係ない」

 そうだ、朝のあの時だって、わたしを見つけた遠藤さんたちの顔を見たら、今後のことは想像できたはずだった。

「今度は、徹底的に()るだろうね。二度と外を歩けなくなるくらいにはさ」

 遠藤沙織の、ターゲットにした人間への執拗ぶりは、わたしが一番わかってる。気に入らない人間(モノ)は、再起不能になるまで潰し続けるような、そんな人だった。

「罰ゲームにしろ何にしろ、お互い手取り足取り助け合っていた方がいろいろ得なわけ。俺は俺で約束を果たせるし、あんたは、沙織(あいつ)のことを心配しなくていい」

「で、でもそれじゃあ……他の女の子たちからの誤解も及びそうなんですが……」

 わたしなんかに新島くんが構っていたら、他の女子の反感を買ってしまう。それはそれで危険なんじゃないだろうか。

「心配すんな。全部、俺が守ってやるから」

 見つめられただけで勘違いしそうな人からそんなことを言われて、こんなにもときめかないことがあるのだとはじめて知った。
 夕暮れ時、黄金が広がるふたりだけのリビングで、一見とろけてしまいそうなほどに甘い言葉を吐かれても、ただ恐怖心しか生まれないのだから。