「これで、きみの逃げ場は無くなったわけだけど」

 咲乃が静かに告げる。暗く揺らめく瞳を、真っすぐに悠真に向けて。

「この映像を担任に送るか、きみがこの教室から消えるか選ばせてあげるよ」

 淡々とした声に、感情は見られない。ただ、その瞳の中にあるものは、ずっと悠真が見たかったものだった。

「最後のゲームだ、新島くん」

 頭は不思議なほど冴えわたり、怒りはもうおさまっている。最後に悠真が答えを告げた時には、不思議と胸がすく思いがした。







 神谷の兄、神谷将(かみやしょう)が運転するバイクの後部座席に乗って、知り合いがやっているという診療所で手当てを受けた頃には、すでに夜の8時をまわっていた。近所の公園で降ろしてもらうと、神谷の兄がジュースをおごってくれる。そこで一息つくと、みんなだいぶ落ち着いてきて、西田も元気を取り戻していた。

「篠原くん、神谷くん、助けてくれてありがとう」

 西田が二人に礼を言った。咲乃が来なかったら、自分は本当に殺されていたかもしれない。それほど、悠真には切迫した緊張感を感じていたのだ。

「無事でよかったよ」

 咲乃が微笑だ。その顔にも、痛々しくガーゼが当てられている。

「にしても、ひでぇなその顔。明日大丈夫かよ」

 いちご牛乳を飲んでいた神谷が、改めて咲乃と西田を交互に見た。確実に担任から、何があったのか聞かれるだろう。

「新島の事、担任にチクんの?」

「いや。担任には言わないよ。新島くんとは交渉したいし」

「交渉ってなに? クラスメイト全員の前で土下座させる? 全裸(マッパ)で校庭100周走らせる?」

 他人の不幸に目を輝かせて聞いてくる。本当にイイ(・・)性格をしている。

「新島くんには退いてもらおうと思ってる。彼は、クラスには邪魔だから」

「ひえー、超ドライ。お前ら、この前まで仲良かったじゃん」

 咲乃の人を切る時の思い切りの良さに、さすがの神谷も引いていた。

 たしかに咲乃は、悠真のことが嫌いかと言われればそんなことはなかった。新島悠真が何に悩んでいるのかは、誰よりも咲乃が良く分かっていたからだ。しかし、今の悠真をクラスにとどまらせておくわけにはいかなかった。

「夏休み明けには、津田さんが教室復帰するんだ。せっかく復帰したのに、津田さんに何かあってはいけないから」

 悠真のせいでだいぶ教室も荒れた。その元凶をそのままにしておくわけにはいかない。
 成海の教室復帰の障害を何としてでも取り除きたかった。そのために悠真に近づき懐に入りながらも、立場の弱いクラスメイトを守ってきたのだ。少しでも、成海が過ごしやすい教室にするために。

「つまり、お前が新島たちの前で好き勝手やってたのって、全部トンちゃんのためかよ。すげー執念だな、お前」

 神谷が驚いて声を上げると、咲乃は聞き馴染みのないあだ名に反応した。

「トンちゃん?」

「そ、トンちゃん。(トン)ちゃんって感じだろ、津田って」

 女の子につけるあだ名じゃないだろうと思ったが、それ以前に神谷の成海への馴れ馴れしさが気になった。

「ちょっとまって、いつから津田さんのことをあだ名で呼ぶようになったの?」

「いや。お前のクラスが荒れてる間は遊びに行きたくなかったから、休み時間中は相談室に入り浸ってたんだよ。相談室(あそこ)良いよなー。日高センセー面白れぇし、お菓子とお茶まで出てくるんだぜ? 天国じゃん」

 初耳だった。成海からは全くそんな話は聞いていない。

「つまりお前は、相談室で課題をしている津田さんや西田くんの邪魔をしに行っていたということ?」

 咲乃の険悪な空気に気づいて、西田が慌てて間に入った。

「あっ、えっと、神谷くんも一緒に勉強してたよ? 神谷くん、教室では自分のキャラ的に勉強がしにくいからって、相談室を利用させてもらってたんだよ。ね、神谷くん!」

「なになに? もしかして、トンちゃんが他の男と関わるの嫌なの? へー、篠原くんも、仲良い女子が他の男と仲良くしてるとやきもち焼いちゃったりするんですね、ぷぷぷー」

 西田が泣きながら咲乃をなだめ、神谷の兄が神谷に拳骨をくらわさなければ、また新たに怪我人が増えるところだった。
 その後、神谷は兄に引きずられるようにして帰っていき、西田も神谷兄の友人たちに送られて帰って行った。


 咲乃が帰宅すると、雅之が玄関で待ち構えていた。これ以上ないほどににこにこしている。

「お帰り、咲乃」

「た……ただいま」

 咲乃は、叔父のただならぬその笑顔を見て、次に来る災難を覚悟した。