結局、咲乃には聞けなかった。彼女の沙織の乱入があったのも原因だが、聞いたとしても、絶対にこたえないか、はぐらかされるだろうと分かっていたから。だから、改めて修学旅行の日、咲乃に何を聞こうとしていたのかを尋ねられた時、悠真は全く関係のないことを聞いたのだ。


 悠真は咲乃と親しくいられるだけで満足だった。咲乃の中にある物足りなさは、自分と共通するものがあったから。むしろ、その共通点がうれしかった。初めて、自分の物足りなさを受け入れることができた。咲乃が特別であるかぎり、自分が空っぽだとしてもかまわない。それほどまでに、咲乃は悠真にとって強烈な影響を与えた存在だった。
 しかし、一つだけ悠真には理解できないことがあった。それは、特別であるはずの咲乃が、無能な人間に対しても対等に扱おうとすることだ。彼の中にある残虐性を知っていたから、余計に混乱した。常に己の中にある不快感に苦しみながら、西田に手を差し伸べる様子を見て、咲乃が変わろうとしているのだと悟った。

 凡人に、変わろうとしているのだと。






 家に帰ると、悠真は力が尽きて泥のように眠った。目覚ましの音で目覚め、学校に行く支度を済ませて外へ出る。沙織からのLINEの通知が何件も来ていたが、すべて無視した。彼女に構っていられる心の余裕はなかった。

 今にも振り出しそうな薄暗い空を見上げて、昨日の出来事を振り返る。結局、咲乃は悠真を受け入れなかった。そして、西田を守るため自ら進んで敗北した。

 唯一の理解者さえ失ったことへの失望。

 ゲームでは咲乃に勝利したはずなのに、残ったのは今まで感じたことのないほどの虚無感だった。その虚無を覗くには絶望が深すぎる。喉の奥が焼けつくような乾き。胸を(つんざ)くような痛み。死よりも深い恐怖。今にも呑み込まれそうになる。絶壁に立たされるような感覚。

 
 自分には目標がない。

 自分には進路がない。

 自分には希望がない。

 自分には何もない。

 自分には価値がない。


 ――そんな自分に、生きる意味があるだろうか。


 はっと、目をあげた。

 悠真は教室にいた。考え事をしたまま習慣的に上履きに履き替えて、ここまで歩いて来たらしい。窓にはカーテンが引かれている。

 いつもならもっと騒がしいはずの教室が、今日は不自然なほど静かだ。
 悠真に集中する、みんなの視線に戸惑う。いつもの教室とは、明らかに様子が違った。

「あ……、おはよー……」

 戸惑いながらも挨拶した。しかし、誰も悠真に返さない。皆緊張した面持ちで、じっと悠真を見つめ続けている。状況が全く分からず、悠真がその場に立ちすくんでいると、背後のドアがしまった。
 驚いて振り向く。顔にガーゼを当てた咲乃が悠真に微笑んだ。

「おはよう、新島くん」

「……あ、ぁ……おはよう」

 咲乃の顔を見て、警戒して身体が強張った。しかし、咲乃は何事もなかったかのような穏やかな顔をしていた。悠真はますます混乱して立ち竦み、自分の席にかばんを下ろす咲乃を目で追った。

 取り敢えず悠真は、警戒しながらも自分の席に着いた。周囲の視線がずっと悠真を追っている。この異様な空気はなんなんだ。意味が分からない。
 教室には、クラスメイトの殆どが揃っていた。日下も小林も中川もいるし、村上はいなかったが、村上の仲間たちはそろっている。加奈も高木たちもいる。安藤や竹内もいた。そして、驚くことに西田も、顔中に絆創膏やガーゼを当てた状態で出席していた。

 突然、締め切られていたドアが再び開いて、悠真の肩が震えた。

「わりぃ、トイレ行ってた。もうやってる?」

 そう言って入ってきたのは、別クラスの神谷だった。久々に神谷が来たことに訝しんでいると、咲乃が首を振って答えた。

「ううん。これから始めるつもり。必要なメンバーはこれで揃ったよ」

「そっか。それじゃあ、はじめっか」

 悠真が状況を尋ねる間もなく、神谷が教室の電気を消した。咲乃が何かのリモコンを操作する。
 教室のプロジェクターが稼働した。黒板の前につるされたスクリーンに映像が映る。音声のない映像。悠真が咲乃を殴り続ける映像だった。
 映像が流れた瞬間、教室の空気が変わった。恐怖に息を呑む音がする。皆が映像に釘付けになる。悠真は呆然とその映像を見て、状況を把握した。

 撮られていた。しかし、いつの間に?

 咲乃からの視線を感じて、悠真が目を向ける。咲乃の瞳の中に、ぐらりと暗いものが蠢いた。

「ゆ、悠真……?」

 加奈が名前を呼んだ。恐怖と驚愕で顔が強張っている。

「ち、ちがっ……!」

 咄嗟に事実を否定しようとして、口をつぐんだ。こんな映像を前にして、悠真が何を言ったところで、いったい誰が信じるだろうか。

「……どう、やって……」