“自分が恵まれている”ということは悠真も分かっていた。金銭的にも余裕がある家庭に生まれ、何不自由なく過ごし、過度に甘やかされるわけでもなく両親から大切に育てられてきた。
 社交的で幼少期からカリスマ性のあった彼は、友達にも恵まれていた。人好きのする容姿と人を惹きつける性格で誰をも魅了し、何の努力をしなくとも他人の好意を得ることができた。勉強も運動も過不足なく出来て、学校生活は常に順風満帆だ。しかし一方で、何をやっても出来ないで叱られている子供を見ると、なぜこんなことも出来ないのか不思議でならなかった。

 小学生になると、自分は人より器用なのだと自覚するようになっていた。だからと言って、他人を見下したり驕ったりすることもなかった。そもそも、そういった人物に対して興味も無かったし、関わろうとも思わなかったのだ。

 思春期になり身長が伸びるのに比例して、悠真の周囲に与える影響も大きくなっていった。中学生になるとクラスでの発言権が強くなり、誰もが悠真の顔色を窺うようになった。悠真の言葉全てに肯定し賛同する人間が多くなった。

 退屈だった。

 まるで空っぽに見える人間関係の中にいることが。何をしても充実感を味わえない、この生活が。あまりにも退屈で――、退屈で――。そしてある日、気づいてしまった。何をしていても満たされないのは、自分自身に何もないからだと。


 自分には何もない。生きるうえで特別な問題も、悩むべきコンプレックスも、超えるべき壁も、目指すべき目標も。既に何でもあった悠真には、何かを求める明確な理由がなかったのだ。

 何かになろうと思えば、何にでもなれる自信があった。それは若さゆえの万能感ではない。器用で要領のいい彼だからこそ言える明確な事実だ。しかし、何にでも簡単になれてしまう自分の人生に、一体、どれほどの価値があるだろうか。

 悠真は最初から何でも持っていた。だからこそ、何も持っていなかった。自分が生きる意味さえも、悠真の中には無かったのだ。


 西田のことが気になり始めたのは、そのことに気付いた後からだった。1年の頃から何かと同じクラスになる、不器用で、存在感の薄いクラスメイト。悠真が知る限り、特に西田は何も出来ない人間だった。勉強も、運動も、友人も――出来ることが何も無かった。誰もが認める無能だ。存在自体が価値のない無能。
 しかし、そんな無能が自分に重なって見えて仕方なかった。何も持たない西田と、何もなかった悠真。二人がとても似ているように思えて――目障りだったのだ。



 2年生の夏休みが開け、話題の転校生の噂は当然悠真の耳にも入ってきた。
 全校集会で体育館に集まった時、ふと視線を外した先に転校生らしき人物を見つけた。どこにいても目立つ容姿だ。そしてその人物を見た時、未成年の傷害事件のあった学校のブログ記事で見かけた少年の姿に似ていることに気づいてしまった。

 あの事件のことを知っているかと、転校生に聞いてみたいと思った。聞いてみたいと思ったのは、ただの野次馬根性だ。
 噂の転校生の存在には興味があったが、わざわざ自分から近づくつもりはなかった。クラスが離れていたし、授業で関わる機会もない。徐々に転校生への興味が薄れかけたころ、廊下で篠原咲乃とすれ違った。

 初めて咲乃の目を見た時、心のすべてが震撼(しんかん)した。彼の中にある途方も無い物足りなさに気付いたのだ。そしてそれは、けして満たされることのない物足りなさだった。
 何もかもを持っているが故の空虚感。一度は絶望し、諦観した目。どこまでも深い深淵。
 そして悟った。転校生はあの事件の当事者だと。転校生の虚無感が、自分の中にあるものと似ているような気がして、悠真は強烈に篠原咲乃に惹かれたのだ。


 優秀な咲乃の噂を聞くたびに、無能な西田が目障りに思えた。咲乃に深く共感したのに、同時に無価値に存在している西田と自分が同じであることを認められなかった。見たくなかった。西田と自分が同じだなんて、思いたくない。
 その頃から、悠真は西田への当たりが強くなり、西田へのいじめが始まった。



 3年生になり、悠真は咲乃と同じクラスになった。実物の咲乃は、本物の天才だった。非凡な能力を持つ咲乃を前にしたとき、悠真は素直に尊敬できたし、そんな咲乃の友人でいられることが嬉しかった。

 ある日の放課後、悠真は咲乃に、ずっと聞きたかったことを聞こうとした。初めて廊下で咲乃を目にしたときに確信したことの答え合わせがしたかったからだ。

「篠原ってさ――」

 八城台(やしろだい)中の傷害事件のこと、知ってる?