今朝から降り続く大粒の雨が、視聴覚室の窓を叩く。電気をつけているのに室内はどこか薄暗さを感じさせた。

 増田はとある生徒を待ちながら、昨日行われた安藤と高木双方の両親を交えた話し合いの事について考えていた。

 安藤の母親は、ひたすら娘の愚行を高木と高木の母親に謝っていた。しかし当の本人である安藤は、無言のまま謝ることさえしない。どこか他人事の様である彼女に、高木の母親は納得がいかなかった様だ。
 安藤自身が反省しなければ、いくら母親が謝ったところで意味がない。話し合いは結局、安藤の反省を促すためのペナルティを課す方向で収束した。それでも、退学を希望する高木の母親が納得できるものでは無かったのだが。


 視聴覚室のドアが開き、篠原咲乃が姿を表した。悠真が言ったことを、直接本人に確かめる為に呼んでいたのだ。

 向かいの席に座るよう指示を出す。彼が席に着いたのを見計らって、増田は穏やかに尋ねた。

「新島から聞いたぞ。安藤の相談を受けていたそうだな。どうして先生に話さなかったんだ?」

 篠原のことだから、きっと何か訳があったのだろう。篠原を責めるつもりはない。ただ、本人がどう思っているのかを知りたかった。

 篠原は、落ち着いた様子で静かに言った。

「僕が先生に報告できることは、何もないと思ったからです」

「何もない?」

 増田は眉根を寄せた。篠原の発言の内容にだけでなく、負い目を感じている様子がない。普段の篠原らしくない態度に、増田は内心戸惑った。

「僕が安藤さんと話していたことは事実ですが、相談を受けていたわけではありません。安藤さんからは相談されるほどの信用は得られていなかったので」

 篠原は真っ直ぐ増田を見据え、淀みない口調で続けた。

「安藤さんからすれば、高木さんたちと交流のあった僕は警戒対象でした。安藤さんと話したと言ってもこちらから声をかける程度です。今回の件で、僕から先生にお伝えできることは何もありません」

 増田は、信じられない気持ちで篠原を見た。

「しかし篠原は、安藤が高木のいたずらに悩んでいたことを知っていたんだろう? なぜ、そのことを先生に話さなかったんだ。知らないふりをして、嘘をつくことはないだろう」

 今まで増田は篠原に対して、正直で素直な完璧な優等生だと思っていた。どんな雑務でも文句を言わずに引き受け、津田成海の件でも真剣に取り組んでくれた。
 だからこそ、学級委員としても頼りにしてきたのだ。それがまさか、こんな嘘をつくことがあるとは増田は想像もしていなかった。

「もし気付いたことがあったんだとしたら、先生に相談すべきだったんじゃないのか? それで防げたこともあっただろう」

 篠原は優秀だが、優秀であるがために勝手な判断で行動してしまったようだ。増田は改めて、彼がまだ未熟な子供にすぎないのだと思い至った。
 間違いは間違いだったと認めさせるべきだ。事前に安藤が悩んでいると増田の耳に入ってさえいれば、こんなことにはならなかったのだから。

「報告しなかったことは、申し訳なく思っています。ただ、安藤さんの気持ちに配慮してあげたかったので」

 篠原は視線を落とし、少しだけ間をおいて慎重に言葉を告げた。

「それに僕は、先生に今回の件が未然に防げたとは思えませんでした」

「なに?」

 篠原の発言に、増田は耳を疑った。

「安藤さんは授業中、先生に助けを求めていました。しかし、先生は授業を進めたいばかりに、高木さんの悪口を安藤さんの思い過ごしだと言って取り合いませんでしたよね」

「……なっ!」

 篠原が増田に失礼な言葉を吐くのは初めてのことだった。叱責しようと口を開くと、篠原は淀みなく言葉を続けた。

「失礼ですが先生。昨日の話し合いは、どのように決着がつきましたか?」

 急に話の方向が変わり、言葉を詰まらせる。篠原の毅然とした様子に気圧され、話をそらすなと叱るのも忘れて、増田は動揺して目を白黒させた。そしてその後、ようやく答えを絞り出した。

「……安藤はしばらく相談室で別室登校をすることになった。まぁ、安藤もまだ中学生だからな。きちんと反省すれば、教室に戻れる」

「高木さんはどうなったんですか?」

 増田が答えると、間髪を入れずに篠原が尋ねてきた。

「高木は、別に今まで通りだが」

「高木さんは被害者(・・・)だからですか?」