教室で仲間たちと喋っていた村上は、席を立つ竹内の姿を見て、仲間たちと目配せを交わす。次の瞬間、村上の放ったドロップキックを背中に受けて、竹内は床に倒れ伏していた。
 男子たちが爆笑する。竹内は床に倒れたまま、悔しさを込めて拳を握りしめた。

「竹内くん大丈夫?」

 突然、竹内の目の前に、手が差し伸べられる。竹内は驚いた顔で相手を見上げると、差し出された手を遠慮がちに掴んで立ち上が上がった。

 空気を読まず、竹内を助け起こしている咲乃に、村上は苛立ちを込めて大きく舌打ちする。

「またかよ。何なんだよ、テメェ」

 村上に睨まれても、咲乃はマイペースに微笑んで首をかしげた。何をそんなに怒っているのかわからないと言いたげな様子に、村上は益々腹立たしくなる。

 西田を庇った件もある。前々から村上は、咲乃のことが気に入らなかったのだ。
 理想的で模範的な優等生を絵に描いたような咲乃の言動。悠真のグループの人間だからこそ表立って反発しなかったが、それでも、ずっと目障りだった。

「遊んでんのに水差してんじゃねーよ!」

 村上が近くの椅子を蹴飛ばして威嚇する。しかし、それでも咲乃の顔から穏やかさが消えることはない。あろうことか、倒れた椅子をわざわざ起こして元の位置に戻している。その悠然とした態度が、村上の神経を逆なでした。

「水を差すつもりはなかったんだけど、気に障ったのなら謝るよ」

 穏やかに綽然(しゃくぜん)として笑った咲乃の様子が気に入らない。

「だったら、今すぐ謝れや!」

「村上」

 村上が咲乃に掴みかかろうとした。その時だった。冷たい声が響いて、村上の動きがぴたりと止まる。怒りに任せて悠真を睨むと、悠真はいつもと変わらない爽やかな顔で、まぁまぁとばかりに、咲乃を庇うように立った。

「なにキレてんだよ。教室の外まで声響いてんぞ」

 悠真の拍子抜けするほどのんきな口調に、村上は奥歯を噛み締めた。そして、悠真の後ろにいた日下たちを押しのけるようにしてそのまま教室の外へ出て行った。




 休み時間中、グループに固まった女子たちは、一人で過ごしているその女子生徒を盗み見ては、バカにしたように嗤っていた。

 標的にされた女子生徒は、陰口が聞こえないふりをして一心にノートにイラストを描いていたが、ついに耐えきれなくなって席を立った。逃げるように教室を出ていく彼女の姿を目の端にとらえながら、咲乃は読書に耽っているふりをして考え事をしていた。

 西田一人に向けられていたヘイトは、今や分散され、今まで目立たないように息をひそめていた生徒たちにまで害が及ぶようになっていた。西田だけなら、咲乃がさりげなくフォローすることもできたが、ここまで分散されては手が追い付かない。男子生徒同士の喧嘩を止めたり気にかけることは出来ても、女子が相手となるとさらに気を遣う。咲乃が被害にあっている女子を庇えば庇うほど、他の女子たちの嫉妬を煽りさらなる害を及ぼす危険もある。今は様子を見る事しかできない。

 悠真はクラスの状態に関与しない姿勢を取り続けているが、このクラスを支配する彼の放つ空気感は、クラスメイト達をただ盲目にさせていた。
 悠真が持つ人間的な魅力は、周囲の人々の好感と信頼を集める。誰もが彼に憧れ、誰もが彼と親しくなりたいと考えているため、彼が認めた友人たちは悠真と同様に尊重された。
 このクラスの一軍メンバーの優位は絶対であり、その地位に憧れる二軍の男子や女子たちは、少しでも悠真に気に入られようと、彼の呼吸ひとつひとつに意識を離さない。悠真が除外した人間は徹底的に除外され、悠真が優遇した人間は尊重される。それがこのクラスだ。やっかいなのは被害者である生徒までもが悠真に憧れるあまり、除外されても当然だと自身の立場に疑問を抱かない点だった。悠真が作る空気感は、クラスメイト達の気づかぬ間に浸透し、それを当然のこととして受け入れさせている。

 咲乃の教室での立ち位置は、悠真に最も近しく、悠真の好意によって守られている。だから自由な行動も認められている。しかし、それでも一人では太刀打ちできないこともある。咲乃は立場的にも目立ちすぎた。

「よっ、篠原。また一人で本読んでんの?」

 咲乃の肩に悠真の腕が乗った。親し気に見える悠真の行動に合わせて、咲乃は悠真を見上げて笑った。

「ん、今面白いところだから」

「せっかくの休み時間なのに、篠原が読書ばっかしてちゃつまんないじゃん。今日の昼休み、みんなで遊ぼうってことになってんだよ。お前も来る?」

 咲乃は悠真の後ろの、中川や石淵たちへ視線を向けた。