大きく泣き腫らした瞼で、彩美は学校に到着した。廊下ですれ違う生徒たちが、美少女だった彩美の顔を見て、さっと顔を伏せる。今の彩美には、周囲を気にする余裕はない。氷水の入った袋で片目を冷やしながら、ふらふらと自分の教室へ向かって行った。

「うっわ、バケモンじゃん!」

 神谷の直接的すぎる言葉を無言でたたき割り、そのまま顔面にパンチを食らわせる。あと数センチ違ったら鼻が折れたのに、狙いが外れた。

 彩美は自分の席に着き、ゴンッと大きな音を立てて机に額をつけた。

 最悪。本当に最悪。せっかく篠原くんが学校に来てるのに、こんな顔じゃ会いにも行けないじゃない。

 咲乃のお見舞いの帰り、稚奈に彩美のプライドをズタズタにされてから、休日中はずっと部屋にこもって日中夜泣き通した。
 何せ“咲乃が、稚奈の家にまで通って勉強を見ていた”という事実が衝撃的すぎて、彩美には耐えられなかったのだ。しかも、のうのうと「山口さんも見てもらえばいいのに」とのたまいやがる。ふざけんな、そんなこと出来たらとっくにしてるわ!

 先ほどから、彩美の周囲で「今日は山口に見つからないように生きような」「あぁ、神谷の二の舞になる」とこそこそ話しているのが聞こえて、ペンを一本折ってしまった。

「何やってんの、彩美。ペンがかわいそうでしょ。物にも命が宿るって話、知らないの?」

 モブ親友こと橋本愛花が、彩美の手の中を開いて真っ二つになったペンを回収した。同情するとこ、そこじゃねーだろ。

「あ゛っ……、あ゛い゛か゛ぁ゛……」

 顔を上げて橋本愛花に縋りつくと、愛花は嫌そうな顔で「どうどう」と背中を撫でた。

 愛花には通話でぶちまけたので全て知っている。周囲の恐ろし気な空気も気にせずに、愛花は彩美の目の前の椅子に座った。

「で、どうすんの? 泣き寝入りするわけ?」

「……う、うぅ……」

 愛花の容赦ない言葉が、彩美に胸にグサグサ刺さった。確かにここで泣いているだけでは、状況は変わらない。そんなことは分かっているのだが、今の彩美には反論する気力すら湧かなかった。

「もうさ、いっその事、篠原くんに告白しちゃえば? アンタだって篠原くんとは仲が良いんだし、意外にチャンスあるかもしれないじゃん?」

「そ、そんなっ、だめ!」

 他人(ひと)ごとだと思って投げやりに言う愛花に、彩美は勢いよく顔を上げた。

「今告っても絶対上手くいかないもん! もし振られたらどうしてくれんの!?」

「どうしてくれんの、って言われてもねぇ」

 きっぱり諦めて次の恋を探せばいいんじゃないかと思う。愛花は見た目の可愛さとは裏腹に、かなりドライな性格をしているのだ。

「篠原くんが、本田さんのことをどう思ってるかも分からないし、本田さんよりもっと仲良くならなきゃ」

 気持ちの面では焦るけど、焦って振られては意味がない。

「じゃあ、頑張って篠原くんを誘うしかないじゃん」

「わ、わかってるよ、そんなこと」

 呆れたように半目になって言う愛花に、彩美は頬を膨らませた。

「この学校で、一番可愛いくて仲が良い女子なんて私だけだもん。篠原くんが、本田さんみたいな子を好きになるわけないんだから」

 中本結子の時もそうだった。頭が良くて人間も出来ている咲乃が、面白みのない平凡な女の子を選ぶはずがない。少女漫画でもあるまいし。
 考えてみれば本田稚奈など取るに足らない小物だ。頭とノリが軽いだけの女に、彼がそう簡単になびくはずがない。本田稚奈みたいな女は、咲乃が一番苦手とする部類の人種なのだから。






 まぶたの腫れが引いた頃、彩美はようやく神谷を引き連れて2組の教室へ向かった。
 ちなみに神谷は、腫れた顔に氷水の入った袋を押し当てている。殴られた上に、良いように引き連れ回されて、神谷の気分は最悪だった。

 2組の教室で、咲乃はいつもと変わらぬ様子で悠真たちと過ごしていた。悠真との繋がりで親しくなったらしい女子たちも数名混ざっていて、会話に加わっている。その中に関りたくなかった女子生徒を見つけて、彩美は顔をしかめた。

 遠藤沙織(えんどうさおり)澤田加奈(さわだかな)だ。遠藤沙織のことは嫌いだったが、咲乃が目当てではないので無視していい。問題は澤田加奈だ。
 教室に入るなり、澤田加奈に睨まれた。加奈が咲乃に気がある気があるのを知っていた彩美は、鋭く彼女を睨み返す。

「神谷どうしたの。すごい怪我だよ?」

 咲乃が神谷の顔を見て驚くと、神谷は不機嫌そうに「鬼神に祟られた」と答えた。

 彩美は神谷の言葉など耳にも入れていなかった。ただ、目の前にいる咲乃に見惚れた。

 今日も篠原くん、とっても素敵……。