ひとりで燃え上がっていた彩美に、不意に咲乃が目を向けた。

「そんなことはないよ。山口さんも勉強出来るし、行こうと思えばどこにでも行けるんじゃない?」

 咲乃に褒められて、彩美の頬が真っ赤に染めあがった。

「そんな、さすがに桜花咲までは無理だよ。私は篠原くんほど努力家なわけじゃないし、特別勉強が好きなわけでもないから。やっぱり、篠原くんはすごいよ!」

 気恥ずかしさのあまり全力で謙遜すると、咲乃は穏やかに微笑んだ。

「ありがとう。でも、山口さんは、勉強だけじゃなくて部活も頑張っているし、俺はそっちの方がすごいと思うよ。尊敬する」

 咲乃に「尊敬する」と言われて、彩美は嬉しいやらはずかしいやらで頭がぼおっとした。いつも自分が一方的に咲乃を見ているだけだと思っていた。しかし、咲乃はちゃんと自分を見ていてくれたのだ。

「俺はもう完成したから、先に失礼するね。山口さんも早くしないと、授業が終わっちゃうよ」

 浮かれてしまってすっかり手が止まっていた彩美は、慌ててデッサンの続きを始めた。




 描き終わった生徒は、美術の先生に完成した作品を見せに行く。一発で合格点をもらう生徒もいれば、先生からアドバイスをもらい、何回か修正してようやく合格点をもらう生徒もいた。先生から合格点がもらえると、その後はトイレに行くなり、友達のもとへ見に行くなり、本を読むなり、自由に過ごして構わないことになっている。

 美術の先生から合格点をもらった咲乃が、神谷の様子を見に行くと、神谷は空のペットボトルを前に唸っていた。画用紙を覗くと、明らかにペットボトルの形が歪んでいる。

「クソッ、言うことを聞け! 聞くんだ!」

「何をやっているの。神谷」

 自分の手首を掴み、独り言をつぶやいている神谷に話しかけると、神谷は暴れだす左手(手動)を必死で抑え込んだ。

「魔獣が疼いて手が動かねぇ!」

 聞くんじゃなかったと咲乃が後悔していると、「アホなこと言ってないで早く描け」と、美術の先生の注意が飛んだ。

「篠原、ちょっと手伝ってやりなさい」

 この様子では授業内に絵が完成しないと判断した先生が、咲乃に手助けを頼んだ。咲乃は神谷の画用紙を受け取ると、空のペットボトルを描写する。いびつだったペットボトルの形が修正されていく様子に、神谷は感心するように目を大きくさせた。

「形はできたから、陰影は自分でつけてね」

 咲乃は最低限まで描いて、神谷に渡すと、神谷は必死にその続きを描いて、予鈴がなるギリギリまで粘って美術の先生に提出した。


 授業が終わり、美術室から廊下を出て行く流れの中で、彩美はがっかりして溜息をついた。結局、授業中に同じ班になった咲乃との仲を進展させることは出来なかった。

 今日こそはって、思ってたのにな……。

 心の中で呟くと、人混みのなかで咲乃の後姿が目に入る。話しかけるなら、今がチャンスだ。

「あっ、しの――っ!」

 咲乃のとなりに神谷がいるのを見つけて、彩美の声が止まる。

「またアイツ……?」

 彩美が話しかけようとすると、いつも咲乃の傍には神谷がいる。咲乃の親友だと勝手に名乗っているが、いつも咲乃に迷惑をかけているだけなのに……。

「なんでアイツなんかが篠原くんと一緒にいれるのよ」

 そもそも、ガサツでデリカシーの欠片のない神谷が、高潔な篠原くんの親友だと名乗ってること自体があり得ない。咲乃が優しいから付き合ってあげているだけで、本当はあんなバカ、咲乃はふさわしくない。

 私だって、篠原君と仲良くなりたいのに。

 彩美は、神谷の背中を憎しみを込めて睨んだ。昔から大きい声で騒いでるだけの神谷が嫌いだったが、益々憎らしく感じる。神谷なんか、大っきらい。あんなヤツいなくなればいいのにと、彩美は心の中で神谷を罵った。