連日の激務が祟ったのか、または猛暑にやられたのか。朝から咲乃の体調は芳しく無かった。学級委員の仕事は問題なくこなしていたが、清水寺での班別行動になると、悠真は遅れがちに歩いている咲乃を気にするようになった。

「篠原、お前大丈夫?」

「うん……ごめん、先に行ってて」

 そう言って笑う咲乃の顔は、傍目から見ても赤い。息も苦しげに上がっている。悠真は日下たちに一言告げてから、咲乃を担任の元へ連れて行った。


 貸切バスの後部座席に咲乃が横になると、担任の増田が咲乃に声をかけた。

「熱がありそうだな。吐き気はないか?」

「……いえ、大丈夫です」

「今、保健室の先生を呼んでくる。新島、すまないが篠原の面倒を見てやってくれ」

「了解。任せてよ、先生」

 増田がバスを降りていくと、悠真は咲乃のそばにしゃがみ込み、咲乃の様子を伺った。随分苦しそうに息をしている。白い肌に赤みがさし、細く開いた目の白目部分も若干赤い。黒い瞳は、水気が増して零れそうなほどに潤んでいる。

「具合悪いなら早く言えよ。朝から辛かったんだろ、お前」

「……さむ……」

「あー、ちょっと待ってな。今掛けるもの持ってくる」

 悠真は備品のブランケットを見つけ出して咲乃にかけた。背中を丸め、包む様にしてブランケットの中に潜り込む姿が猫のように見える。

「ほら、水。喉乾いたろ」

「……ん、ありがとう」

 水の入ったペットボトルを差し出すと、ブランケットの中からするりと緩慢な動きで白い腕が伸びた。ペットボトルを掴み、再びブランケットの中に戻る。ひんやりとした感触が気持ちいいのか、飲むまでの気力がないのか、ペットボトルを抱きかかえるだけで終わってしまう。
 悠真は仕方なく咲乃からペットボトルを取り返すと、ふたを開けて差し出した。

「口、開けろ」

 言われた通りに口を開ける咲乃の喉に、少しずつ水を零す。冷たい水が口の中を通ると、咲乃の顔が少し安心したように緩んだ。
 咳き込まない程度に水分量を調節する。ペットボトルの4分の1程飲んだところで、咲乃は満足したようにうずくまった。

「ひとりで頑張りすぎじゃないの、委員長」

「……もう……少し……だったんだ。……もう少し……耐えれば……」

「だめだめ、お前の仕事は終わり。これから病院に行って、おとなしく帰るの。後は笹本と修学旅行委員に任せとけよ。いいな?」

 咲乃が激しく咳き込むと、悠真はブランケットの上から背中をさすった。呼吸が浅く、少し早い。余程苦しいのだろう。
 悠真は呆れて、呼吸に合わせて上下するブランケットの塊を見た。

「先生も他のやつらも、篠原ばっかに頼りすぎなんだよ。ミーティングの司会進行もお前に任せきりだって聞いたし。他の学級委員がやりたがらない仕事も率先してやってたらしいじゃん。山口さんが倒れた時も、夕食後回しにして面倒見てたんだろ?」

「……あの時」

 咲乃が小さく呟くように言葉を発した。声がかすれていて、少し聞き取りにくい。

「ん?」

 悠真が身をかがめると、うずくまっていたブランケットから水分に揺らめいた瞳がのぞいた。

「……あの時……なんて……聞こうとしたの……?」

 ついに苦しくなって、ブランケットの中で咳をしている。悠真は咲乃の尋ねている事を逡巡して、「あぁ」と思い出した。
 学校で、咲乃に尋ねようとしていたことがあった。聞くタイミングを失って、今ではすっかり諦めていたことを未だに覚えていたらしい。

「なんで桜花咲に行こうと思ったのかを聞きたかったんだ。もう少しグレードを落とせば、放課後俺たちと遊ぶ時間だってできるのにさ」

 篠原咲乃が桜花咲高校を受けるという噂は、大分前から3年生の全生徒に知れ渡っている。桜花咲高校は、国内有数の難関私立校だ。進学重視の私立中学に通っているならまだしも、普通の市立中学の生徒が受けるような学校ではない。