「篠原くんがいないのに楽しめるわけないじゃん。何で貴重な修学旅行を女同士で周って無駄にしなきゃなんないの!? 篠原くんと一緒に周りたかった! 篠原くんとお揃いでキーホルダー買いたかったの!!」

 彩美が小声で癇癪を起していると、脇役から「どうどう」と馬をなだめるようなあやし方をされた。余計腹が立った。

 学生であることは、それだけで魅力のステータスだ。制服を着て歩くだけでも色彩が華やぐ。溜息一つでも誰かの目を捉えて離さない。彩美はまさに華の女子中学生であり、彼女が持って生まれた可愛さを一点の曇りもなく思う存分に発揮できる貴重な瞬間だ。その瞬間こそ、隣には華やかな男がいなくてはならない。それなのに今彩美の隣には、輝かしいヒーローではなく、呆れた顔をしている女友達(モブ)だ。

「ほーんと、彩美って恋愛以外興味ないよねー」

 去年、彩美と同じクラスだったため、同じ女子グループにいるこの少女は、脇役の癖に彩美の根底にある気質をよく心得ている。愛花は、みんなと買ったキーホルダーを手の中に持て余しながら「しっかし、熊って。京都全く関係ないな」などとドライなことを言っていた。口調が可愛くないが、愛花自身は、年頃の女の子のようにお洒落で可愛いので誰も彼女のがさつな部分に気付かない。可愛いヒロインには、同じく見た目が華やかでドライで聞き役の親友(・・)モブポジションは必要不可欠だ。

 ホテルに戻った後、彩美たちはすぐに温泉に浸かった。咲乃のいない修学旅行に来て、彩美が唯一良かったと思えることと言えば、ホテルの大浴場だった。温泉の効能の中に美肌効果があり、女子達の間で話題になっていたのだ。温泉に入ると、肌触りが滑らかになる。
 美容に目がない彩美にとって、温泉の湯につかることは安らぎの時間ではない。どれだけ人より長く浸かって、温泉の成分を多く取り入れるかの真剣勝負の時間だ。友達が先に上がっていくのを横目に、彩美は誰よりも長湯した。サウナでデトックスをした後の長湯だった。友達の心配も案の定、のぼせて倒れて大騒ぎになった。

 次の瞬間、彩美はホテルの医務室のベッドで目を覚ました。全裸だった自分の身体(からだ)には、きちんと旅館着が着せられている。担任と養護教諭が女性で良かった。しっかり配慮された格好をしていて彩美は安堵した。

 寝ている間、担任の先生と養護教諭が付き添っていたらしい。のぼせの原因は水分を取らなかったことと、長湯のし過ぎだと叱られた。頭痛や吐き気はするか等の体調面を聞かれて、彩美が問題はないことを伝えると、部屋に帰って安静にしているように言われた。
 友達が持ってきてくれていたらしい、旅館着から下着とジャージに着替えて医務室を出る。医務室のドアの傍に咲乃が立っていた時は、彩美は再び失神しそうになった。



 休憩所の自販機で、咲乃にスポーツドリンクを買ってもらった。湯冷めしたはずの頬に熱がたまるのを感じて、今自分がどんな姿なのかが気になった。今は学校のジャージを着ているが、髪の毛は若干濡れたままくしゃくしゃになっているし、風呂から上がってすぐに化粧水で保湿をしていないから、今自分の肌は乾燥している。
 自分が今、自信を持てるほど可愛いとは言えない状態に思えて、彩美は恥ずかしくなった。しかし、咲乃といられるチャンスを無駄にしたくもない。

「ジュ、ジュースありがとう……。でも、何で、篠原くんが……?」

 隣で一緒にスポーツドリンクを飲んでいるジャージ姿の彼を見て、彩美はドキドキしながらなぜ待っていてくれていたのか尋ねた。
 咲乃からシャンプーと石鹸の香りが漂ってくる。入浴を済ませてきた後なのだということが分かって頭がくらくらした。

「橋本さんと廊下で鉢合わせた時に、山口さんが倒れたと聞いて、俺が代わりに先生を呼びに行ったんだよ。心配だったから待っていたんだ」

 ただでさえ、学級委員の仕事で忙しい彼を、自分のせいで引き留めてしまったことに彩美は負い目を感じた。

「あ、あの、ごめんね? 篠原くん、お仕事で忙しいのに……」

 彩美が辿々しい口調で謝ると、咲乃はゆるりと首を横に振って柔らかく笑った。

「ううん。山口さんが無事で良かったよ」

 咲乃に微笑まれて、彩美はどきりとして視線を外した。一面の大きな窓の外には、夜空に星が散らばっているのが見える。外はバルコニーになっているようだ。

「外へ出てみる?」

「えっ?」

 驚いて咲乃の顔を見ると、はっとするほど優しく儚い笑顔を向けられていた。