休み時間中、咲乃は図書室に訪れていた。本棚から一冊抜き取ると、その場でページをめくり中身を確認する。何冊かそれを繰り返した後、必要な本を数冊抱えて貸出カウンターへ持って行った。

「返却は4月27日になります」

 図書委員が本の裏のバーコードを読み込んで貸出処理を済ませると、不愛想に本を突き返した。図書委員の態度を気にするでもなく、咲乃は図書委員に微笑んだ。

「久しぶりだね、田中さん」

 神谷の件以来、未だ咲乃に対して苦手意識があるらしく、理央は咲乃を避けるように行動していた。ようやく3年生になってクラスが別れたのに、日頃から図書室を利用する咲乃が、図書委員の理央と会ってしまうのは、どうしても避けられないことだった。

「何、嫌味? あんたこそ、相変わらず胡散臭い笑顔振りまいてるわね」

「元気そうで何より」

 咲乃は、笑顔を崩さずに本を受け取った。

「……ねぇ――」

 立ち去ろうとした咲乃に、理央の声が追いかける。振り向くと、理央が不機嫌に咲乃を見つめていた。

「結子、獣医になりたいんだって」

 理央は、苦々し気に視線を落とした。

「“弱いだけの自分でいたくないから”って。二人で近くの高校に行こうねって約束してたのに」

 理央が結子を利用したと知った後も、結子は変わらず理央に接してくれた。理央のことを許してくれたのだ。しかし、あの件(・・・)から結子は少しだけ変わったように思う。以前の、臆病で優しいだけ(・・)の彼女では無くなった。結子が初めて、自分自身で決めたのだ。

「また、アンタのせいで変わっちゃったわね」

 理央は皮肉を込めて笑った。
 別に本気で、咲乃のせいだとは思っていない。結子にやりたいことが出来たのなら、親友として応援したいとも思っている。それでも言わずにはいられなかった。結子だって変わろうと努力している。それを、咲乃が知らないのは、なんだか腹立たしかったのだ。

「そう」

 咲乃はそれだけを言うと、柔らかく微笑んだ。

「ありがとう、田中さん」



 咲乃が教室に戻ると、入り口の前で足が止まった。いつもと変わらないクラス風景の中に、些細な“違和感”を感じて、咲乃は眺めるように教室の中を見渡した。
 

 *

「西田ァ」


 ある男子生徒が、教室の隅に座っていたクラスメイトに声を掛けた。男子生徒――、村上(むらかみ)は3人の仲間たちを連れて、席に座っている西田の肩に腕を掛ける。西田と呼ばれた男子生徒は、うつむいたままびくりと肩を震わせた。

「西田さ、課題やって来てるよな?」

 無言でいる西田の席のまわりを、逃げ場をふさぐように村上の仲間たちが囲んだ。

 西田は誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせた。しかし他のクラスメイトたちは、それぞれ友人たちといつも通りの休み時間を過ごしていて、誰一人、こちらに気づく気配がない。

「次の授業の課題、俺たちに見せてくんない? 俺たち、忙しくて忘れちゃったんだよ。な、いいだろ?」

「や、それは、ちょっと……」

 突然課題を見せろと言われて、西田は口ごもった。忙しかったからやらなかったと言うのは嘘だと思った。最初からやるつもりもなかったのだろう。穏便に済ませるには見せてしまえば済む話だろうが、もし課題を採点する教師に気付かれたら、写した生徒だけでなく見せた西田も叱られてしまう。

「人が困ってんのに見捨てるんです、かァ?」

 村上が西田の机の脚を蹴った。ガタンッと、大きな音を立てて机が動く。一瞬、教室が静かになった。
 西田が再び、助けを求めるように視線をさまよわせると、他のクラスメイト達は西田から目を逸らす。何事もなかったように、再び教室内は雑音に包まれた。
 いつもの日常に戻る。冷や汗を掻き、おびえて俯く西田だけを置いて。


 *


 咲乃が教室に戻ると、いつもと変わらないクラス風景の中に些細な違和感を感じて、咲乃は眺めるように教室の中を見渡した。

 悠真と日下は、いつも一緒に居るメンバーと集まって、談笑しながらスマホをいじっている。その横では、勉強をしている別の男子グループがある。加奈たち女子グループは、離れたところで楽しそうにお喋りを楽しみ、他の生徒たちも、それぞれ友達同士で談笑して過ごしていた。
 咲乃はある男子に目を止めた。教室の隅で、ひとり俯いて座る男子の姿がある。“違和感”の正体はきっとあれだ。

 咲乃は借りてきた本が入ったトートバッグを机の横にかけると、男子グループの頭上から中心に置いている本を見た。

「休み時間なのに、勉強だなんて珍しいね」

 咲乃が悠真に話かけると、悠真がスマホを片手に咲乃を見やった。

「次の授業の課題やってこなかったんだって。マジで馬鹿だよな。篠原はやってきただろ?」

「うん、もう終わらせてる。新島くんたちは家でやってきたの?」

 咲乃が尋ねると、日下はくだらないと言いたげに鼻を鳴らした。