彼自身も家事をこなしバイトをし、私を支えてくれた。姉弟、二人三脚で必死になって頑張り続けた。

 看護師の仕事は辛かったけどそれなりに給与がよかった。細々と貧乏生活をしていけば、きっと勇太を大学へ通わせてあげられる、と貯金を頑張っていた。自分が社会人になったことで、子供の頃よりはずっと楽しく安定した生活を送っていたのである。社会人四年目、私たちは穏やかに暮らしていた。

 そんな平穏な日は、ある日突然崩れ落ちた。




「別れたい?」

 目の前のコーヒーに手を付ける余裕もなく、私は唖然として聞き返した。

 静かな喫茶店、運ばれたばかりの香りのたつコーヒー。私は決して重要な話をするなんてことはなく、ただこの穏やかなお店で一息つくだけなのだと思っていた。付き合って半年になる彼、大島和人は、動けない私とは裏腹に、涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。

 友達の紹介で付き合いだした、一つ年上の人。結構大きな会社に勤めているとかで、いつも自信に満ち溢れているタイプの男性だった。私はそこが気に入っていたのもある、自分が過酷な人生を送ってきたので、ちゃんと自立して頑張っている男性の方が好きだったのだ。

 それなりにうまく行っていると思っていた。お互い依存せず、程よい距離感。熟年夫婦かよ、と友達に突っ込まれたこともあるが、私はそれが居心地がよかった。

 だから突然こんなことを言われて、戸惑うなという方が無理なのだ。

 和人は表情を一切変えずに言った。

「悪いけど、そういうことで」

「理由ぐらい教えて」

「他に好きな子が出来た」

「……うそ」

 唖然として呟いた。まさか和人にそんな人がいたなんて。定期的に会っていたのに、彼の心の変化にはまるで気が付かなかった。

「てゆうかもう三か月前から付き合ってるから」

「は??」

「舞香はさ、年下の割にしっかりしてるなって思ってたんだけど、度が過ぎるって言うか。気が強いし自立してるし、それでいて貧乏性な感じがキツイ。高い店は避けるし、仕方ないから金出そうとしてもおごりは嫌がるし」

「ちょっと待ってよ、三か月前から付き合ってるって何? かぶってたってこと?」

「だって向こうが二番目でもいいって泣くんだもん。舞香にそんな健気なこと出来る? 付き合ってて分かった、やっぱりああいう可愛らしくて一途な女の子がいいんだ」

 うっとりとした顔で言ってくる和人に開いた口がふさがらない。三か月二股掛けられていたなんて、まるで気づかなかった自分の馬鹿さ加減にも苛立った。

 知らなかった。とっくに和人の気持ちが私になかったなんて。その間も和人のためだと思って色々頑張っていた自分が虚しくてたまらない。なんて馬鹿だったんだろう、私は。

 握っていた拳をフルフルと震わせた。そして私は声を絞り出す。

「そう……分かった」

 答えた私に、向こうは不快な顔をした。コーヒーを一旦置くと、苛立ったように腕を組む。

「だからさ、そういうとこだって。なんで泣いたり反対したりしないの? これからはもっと頑張るから、ぐらい言えよ」

 意味の分からない逆切れをされた。私の血管が切れそうになる。

 涙なんか見せてたまるか、こんなくだらない男のために。