私はつくづく、両親に恵まれなかった人生だったと思う。

 母は私が九歳の頃、突然家からいなくなった。父曰く他に好きな男が出来たらしく、いつも恋に突っ走るタイプだった母は、私たちを置いて駆け落ちしたらしい。

 父は一応、子供を見捨てることはしなかった。暴力だとかそういうこともなかった。ただ、無関心だった。それにギャンブルが好きな人で、仕事から帰るとお金を握りしめてパチンコに入り浸るような人だった。ギャンブルに勝つと大盤振る舞いで焼き肉を食べに行ったけど、負けるとその日の食事はなかった。

 私は自分で言うのもなんだが、幼い頃からしっかり者だったので、父がパチンコに勝った日にはお金をこっそり別に分けておいた。へそくりのようなものである。だから本当に困ったときはそこからお金を出してしのいでいた。子供心に、父だけに金の管理をさせてはいけないと気づいていたのだ。さらに、気も強いし根性もあると自負している。子供の頃から生意気な近所の男子と喧嘩していたタイプだ。

 両親はくずたちだったが、私には大事な弟がいた。七歳下の可愛い勇太という弟だ。賢くてしっかりしてて、私に懐いていて本当に可愛かった。すべては弟のために頑張ろう、と子供心に思うほど。

 父親に期待はできない、私がしっかりせねばと考えた自分は、手に職をつけるために看護の専門学校に進んだ。大学より大分授業料は安かったが、それでもあの父は頼りにならないので厳しかった。相変わらずパチンコで勝つと気前よくお金をくれたが、そうでない日は百円もくれなかった。

 高校の頃からバイトしまくって貯めたお金、そして専門学校進学後も必死にバイトを掛け持ちし、私はようやく看護師として就職できたのだ。このころ、弟の勇太は十五歳。彼も新聞配達だの節約料理だので十分家計に貢献してくれた。

 私が就職したと同時に、父は蒸発した。仕事も辞め、いつの間にか消えていたのだ。私たちは驚きもしなかったし探しもしなかった。私が一人前になったから、もう親の務めは終わりだとでも思ったんだろう。(そもそも親の務めを果たしていなかったのだが)

 私はとにかく、勇太のために働いた。勇太は非常に頭がよかったので、大学へも通わせたかったのだ。