「俺、今結婚させられそうなの。親が決めた会社のご令嬢とね。まあ俺は長男で会社を継ぐ予定だし、早く結婚して後継ぎを、っていう親の気持ちは十分わかる。だがしかし、相手が悪い。
 決められた女との結婚が本当に嫌なんだ。あいつだけは結婚したくない」

 本当に嫌そうに顔を歪めた。

「散々嫌だって言ってんのに親は聞かない、まあ政略結婚だからな。あの女にも、何度も結婚はしないって言ってんのに聞きやしない。そしたらもう強行突破で違う女と結婚してやろうと思って」

「それが、私ってこと?」

「ご名答」

「何それ無茶苦茶じゃない、頭大丈夫なの!(そんな事情があったんですね)」

「心の声と出てる声逆だぞ」

「そんな理由で結婚、って」
 
 驚きで慌てる私をよそに、彼は至って冷静にいう。

「他に思いつかない。まあ褒められたやり方でないのは承知してるが、俺は目的を達成させるためには手段を選ばないタイプでね」

「でもあなたなら相手なんてわんさかいるでしょう、どうしてわざわざ私を訪ねに?」

 二階堂さんは写真を置き、こちらを振り返り再びしゃがみ込む。そして口角を上げたまま、私にいった。

「俺が生きてきた中で、お前ほど気が強い女は見たことない」

「……はあ?」

「考えても見ろ、結婚した後にどれだけの問題が山積みか。俺の親からは大反対されるだろう。今の婚約者も全力掛けて潰しにかかる。周りは敵ばかりだろう。そんな俺と結婚するの、普通の女じゃ務まらない」

「……それじゃあ」

 ようやく彼が言いたいことが分かってきた気がする。二階堂さんはにやりと笑った。

「お前には俺の妻という仕事をこなしてもらいたい。周りの圧力にも負けず、ガッツのある女を探していた。貧乏生活を耐え抜き借金取りにもびくともしないお前は相応しい」

 唖然とした。結婚、だなんていうから、相手がこちらに好意を持っているかと思いきや、そんなことはまるでないらしい。

 問題だらけの環境の中で結婚してくれる女が欲しかったのだ。すべては今の婚約者と結婚したくがないために。

 勇太が慌てて声を上げた。

「そんなことしてどうするんですか、姉の人生を売れってことですか!」

「一年。とりあえず一年、お前には俺の妻役をやってもらう」

 私の目の前に、二階堂さんが指を立てた。長く綺麗な指先だ。

「お前はこの一年、とにかく必死になって完璧な妻になってほしい。周りが認めるぐらいに完璧にな。そうしたら、一年後離婚してもいい。そのあとは、『前妻が忘れられない』という理由で俺は何とか切り抜けていこうと思う。跡取りなんかなんとでもなる。だからこそ、お前には『あの前妻ならしょうがない』と言われるほどのいい女になってもらいたい」

「待って、私は確かに根性だけはある自信がある。とはいっても、見ての通りド貧乏で育ったただの庶民なの。さすがに務まるとは思わない、今だって看護師として働いてるだけで」

「日給十万円」

 人差し指が今度、両手を広げた形に変化した。指が十本、並んでいる。私はぴくっとそれに反応した。

「俺が肩代わりしたのは三千万。一年頑張ってもらうとして、日給十万円出す。計3650万。衣食住付き。残り650万あるな、それは今年受験の弟への金にすればいい。大学へ行くんだろ? 金はいくらあっても足りないはずだ。おつりがくるんだぞ? 風俗に沈められるより、ずっとマシな人生だと思わない?」

 耳が二階堂さんの言葉だけを拾う。勇太が何か言っているけど耳に入ってこない。

 一年、日給十万円。おつりがくるほど。勇太の仕送りも出来る。こんないい条件の仕事は、他にないに違いない。

 そうだ何を気弱になっている。さっきまで、変な男に売られるところだった。それに比べたらなんて素晴らしい仕事なんだろう。この仕事以外に、三千万を返すあてなんかあるはずがない。

「わかった」

 きっぱりと返事をした。二階堂さんはにやりと笑う。

 選択肢はない。むしろこれはしがみついて離れてはいけないほどの案件。きっと私にとって想像のつかない一年になるだろうけど、これしか道はない。

「そう返事するって思ってた」

「姉ちゃん! 今会ったばっかの男結婚なんてやばいって!?」

「でもすごくいい話だよ。これ以外三千万返す方法なんてない」

「別に俺、大学行かずに働いたって」

「駄目だよ、勇太は凄く頭がいいんだから、大学へ行っておいた方が可能性がぐっと広がる。勇太にはちゃんと勉強してほしい」

 勇太は唇をかみしめている。二階堂さんはポケットから何かを取り出した。綺麗に折りたたまれた婚姻届だった。

 高そうなペンも共に取り出し、古いうちのテーブルに置く。

「じゃあ、早速これを出しに行こう。証人はもう書いてもらってる。そしたらもう夫婦だ、今から俺の家に一緒に来てもらう。荷物をまとめろ」

 サイン済みの婚姻届。私は丁寧さのかけらもない文字で殴り書きをした。二階堂さんは満足そうにそれをしまう。そしてニコリと笑って言ったのだ。

「二階堂舞香さん。よろしくお願いします」