ピアノを弾きながら、沢里は穏やかに笑っている。
「このコード進行。『Just The Two of Us』って呼ばれるジャズのコードだな。リンカ、ジャズも好きなのか?」
「――あ」
そう、それだ。父が教えてくれたこのコードの名前。
小さい頃に母が好きだったジャズシンガーの曲に使われていた。
大切な名前を取り戻したような気分に、胸が熱くなる。
「Just The Two of Us。――うん、そう。私の思い出の音なの」
「……そっか」
沢里はそれ以上なにも言わなかった。ピアノの音につられて、引っぱられて、驚くほど五線譜が埋まっていく。
まるで魔法にかかっているようだ。
『もう沢里くんに近づくなよ』
そんな呪いの言葉さえ、かき消してしまうような。
「……【linK】のバックコーラス、やってみる?」
「え!?」
今日の私は絶不調。おまけに、頭に浮かんだ言葉がそのまま口に出てきてしまうポンコツだったらしい。
「やりたい!」
それはアンチの思い通りになりたくないという反骨精神からなのか、あるいは柔らかなピアノの音に心を動かされてしまったからなのか。
分からないままに私はまた不器用な一歩を踏み出したのだった。