ただいま、私の王子様。




「あれ美織、顔真っ赤だよ?ごめんね、走らせすぎた?」

香苗に言われてハッとする。

「ううん、大丈夫」

「そう?ならいいや。あー、お腹空いたっ!美織、何食べる?…あ、から揚げ定食だったね」

香苗がにししと笑う。
喉が、またひゅっとなった。

「うん…」

なぜか泣きそうになってしまうのを必死にこらえて、香苗と食券販売機へ向かう。

から揚げ定食のボタンを押して、ポケットを探る。
あるはずの財布が、なかった。

そういえば、あの時…

「香苗っ、財布忘れてきちゃった…先買っておいて」

「え?なに、ばかなの?もう。席とっとくからね」

ありがと、と言い残し、私は食堂を走って出ようとした。

するとその時、ドンっと誰かにぶつかった。


「いった…すみません」

顔を上げると、そこにいたのは、最悪なことに桜木ファンクラブのリーダーと、取り巻きの会員だった。

「こいつ、あれだよね?」

冷たい声でリーダーが取り巻きたちに問う。

「うん。あいつだよ、くそサイテー女」

「抜け駆け女」

リーダーがじとりと私を睨んできた。
足がすくんで、動けない。

「…あんたさ」

どくどくと心臓が早鐘を打つ。

「一発殴らせて」

拒むことは許されない。

「…はい」

蚊の鳴くような声で答えると、腕をつかまれて空き教室に連れていかれた。


「てめえさ、マジでふざけんなよ」

「ごめんなさい」

「なにしたかわかってんの、うちらの斗真に」

がつんと頬を殴られた。
取り巻きたちがすかさず、足蹴りを入れてくる。

「ごめんなさい、でも、私っ…」

「好きとか言ったら殺すから」

「また付き合うとかありえないからね」

「てか、だいたい桜木があんたを許すわけないじゃん」

そんなのわかってる。

「今の気持ちは?斗真に対する気持ち、言えよ」

胸ぐらをつかまれて、髪を引っ張られる。

「…私、はっ…」

痛みに耐えながら、私は精いっぱい歯向かうことにした。
どんなにクズで、最低でもいい。殺されてもいい。私はもう、自分に嘘をつきたくない。

「私は、桜木先輩のこと、…好きですっ…!」

吐き捨てるように言った瞬間、目の前にあった顔が真っ赤に燃えた。

と思ったら、頭にものすごい衝撃が走った。

目の前が真っ白になる。
頭が割れるように痛くて、死ぬかもしれないと思った。

「お前、お前っ…!!お前なんて、ガチで死ねっ!!!!」

視界が少し晴れたけど、まだそれでもぼやけている。
頭を殴られ続けて、くらくらしてきた。
本当に死ぬかも。

すると突然、低くて冷たい声が響いた。

「おいお前ら、何してんの」

殴る手が止んで、私は解放される。
へなへなとその場に座り込んだ。

「なあ、お前らなにしてたか言えよ。」

「とう、まっ…ちが、これはっ!」

「なんも違くないでしょ」

冷ややかな先輩の声。
視界がはっきりしてきた。そっと先輩を見ると、冷酷な表情をしていた。

怒っている。

「お前らさあ、俺のこと好きなのわかるけど、美織ちゃんまでに手出ししないでくれない?」

「っ、だって、そいつ蛙化してんだよ?ありえないじゃん、さいて―」

「それ以上言ったら窓から落とす」

先輩の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。

先輩はぐっとこぶしを握り締めていた。
でも、反対の手には、私の財布があった。

あの箱と同じ、桜色の財布。

「なんで斗真、そんな女ばっかかまうわけ?絶対うちのほうが釣り合うって!」

「黙れよブス」

リーダーが絶句する。
私も絶句した。

「お前ちゃんと目ついてんの?自分の顔と美織ちゃんの顔よく見比べろよ。あと、断然美織ちゃんのほうが性格かわいいし、何言ってんの?」

リーダーは、目に涙をいっぱい貯めて、私を睨みつけてから走り去っていった。
取り巻きたちは戸惑ったように顔を見合わせていたけど、先輩の怖さに圧倒されたのか、そそくさと逃げていった。

先輩を見る。
先輩はまだ怒っているような表情だった。

初めて見る先輩の表情は、とても怖かった。
でも、それ以上に―

先輩がくるりとこちらを向く。

何も言えなくて、黙り込む。

どうすればいいかわからなくて、私は座ったまま、うつむいた。

すると、先輩がおずおずとこちらに近づいてきた。
そして、そっとしゃがみ込む。

びっくりして顔を上げると、そこにはさみしそうな表情を浮かべた先輩がいた。

「やっと目が合った」

さっきとは何もかも違う、声と表情。

「ごめんね、大丈夫だった?なにか冷やすもの、持ってこようか」

先輩には似つかわしくない、頼りない声。
その声にさせている原因が私だということに気付いているから、なおさら悔しくて、涙があふれてきた。

「え、ごめん、待って…泣かないで」

先輩の声を聞けば聞くほど、涙がとまらなくなる。

「ごめんなさいっ…ごめんなさい…!!」

「…泣かないで、ごめん…」

先輩は、ゆるゆると私の背中を撫でてくれた。

不思議と、あの苦さは口の中になかった。
ただ心臓が痛くて、苦しい。

「あのさ、美織ちゃん」

「っはい、」

「ずっと、気になってたんだけどさ」

どくどくと心臓がさっきからうるさい。

「俺のこと、嫌い…?」