「わー! 夜景、ほんっとに綺麗!」
 私――鴨重紗良は、今日限定SPの和泉くんを連れて、客船のデッキへと出た。デッキの手すりの(ふち)に立って、枝依南区沿岸部を眺める。
「パーティー、勝手に抜けてきて『よろしいのですか』?」
「うん、やらなきゃならないことはやったから。とりあえずもういいの」
 後ろ三歩分の距離から声をかけられて、でも私は夜景に視線を向け続ける。
「で、『いかがなさいましたか、お嬢様。(わたくし)めに何か御用命でしたか』」
「はい、これ」
「え」
 私は、右手に持っていたグラスを和泉くんへ差し出した。手すりを背もたれ代わりに寄りかかって、少しずつ視線を俯ける。
「喉、乾いてない?」
「そりゃ、ちっとくらいは」
「だからこれ。どうぞ」
 まっすぐに和泉くんの顔が見続けられるわけもなく。私は目線を左右にそわそわさせながら、どんどん顎を引いた。
「いや、それはさすがに。参加者に用意されてる分だし」
「別にいいよ、私が二杯飲んだのと一緒だよ」
 言葉を紡げば紡ぐほど、ゆるゆると頬が緩んでいく。声もふるふると震えているし、あぁ、緊張してるのバレてないかな、恥ずかしい。出来上がっていく妙な表情を見られたくなくて、だからどんどん俯いてしまう。
 仕方がないよね。だって私、高校一年生の頃から、この和泉くんのことが気になってるんだもん。
「パーティー始まる前に、意地悪たくさん言ったお詫びだって言ったら、受け取ってくれる?」
 ようやく少ーしだけ和泉くんを一瞥(いちべつ)。でも、真正面から見た和泉くんの格好よさにくらくらしちゃうから、また慌てて視線を逸らしちゃった。

 ひゃああ、高級ブランド『OliccoDEoliccO』のスーツでビシッとしてる和泉敬斗の全身、マジでめちゃくちゃ完成度高いんですけどォ! このスーツを和泉くんに用意してくれたパパ、グッジョブすぎる。一人きりでこんなパーティーに寄越してムカつくとか思ってたけど撤回してあげる!
 はあ、推しが私に尽くしてくれるってだけで最高すぎるのに、目も幸せ状況(シチュエーション)も幸せで、現在鴨重紗良はこのパーティーが一生続けばいいと思っています! いや、パーティー自体は早く終わってほしいんだけど、私も和泉くんも着飾ったというこの状況で、かつ二人きりでとか、最高すぎる。今日だけは令嬢でよかったぁ! 神様ご先祖様パパ上様心の底から感謝します!

「じゃあまぁ、どーも」
 私の手からグラスを引き取る和泉くん。ああ、和泉くんの指関節にモエ。手ェ触りたい、なんなら繋ぎたいよう。
 ハッ、やだ、私。何を一体。
 自分のグラスに口を付けて、一口含んで、気持ちを落ち着ける。うう、全然ダメ。まともに和泉くんのこと見られない。
「えとあの、和泉っくんは――」
 何か喋ってないと、心臓の鼓動が酷すぎてどうにかなりそう。話題も何も思い付かないけど、口から勝手に出ていく言葉を垂れ流す私。
「――どうして今日、私のSPをやろうと思ったの?」
 ようやく視線を向けられたと思ったら、顎から上は緊張しすぎて見られなかった。でもラッキーなことに、和泉くんは私の右隣へカツンカツンと歩み寄ってきて、手すりに前腕をもたれかけて夜景を眺め始めた。
「ウチの親父、ボクシングジムやってンの知ってる……ますか?」
「う、うんっ」
 推しのことならなんでも知ってますよ、私。
「そこに『SP募集』の声が、社長からかかったんだ……です。誰かいいヤツ居ねぇかって。ンで、お嬢様だとは知らずに引き受けたのが俺だったんだよ……です」
「あーあのね、普通に喋っていいよ。私そういうの気にしないし、大体、ど、同級生だし。パ――お、お父様に、そんなこと言いつけたりしないから」
「『いえ、社長の命ですので』」
 やだ、クールで真面目。そんな和泉くんもカッコいい。
 チラリと和泉くんの横顔を盗み見た私。タイミング良く、かけている黒レンズのサングラスを顔から外して、ジャケットの左胸ポケットへ差し込んだ。
 ギャアアア素顔露呈最高っ! 眉間に寄ったシワもカッコいい! はぁ、溜め息が出ちゃう。
 サッと視線を俯けて、三分の一になったノンアルコールカクテルを眺める。
「ご、ごめんね今日。きゅきゅ、急に、付き合わせちゃって」
「『いえ、御用命でしたので』」
「で、でも、ホントはやろうと思ってたこと、あったでしょ?」
「『いえ、特には』」
「わ、私もなんとなくその、照れちゃって、素直じゃないことばっかり、言っちゃって」
「『気にしてません』」
 返答がなんとなく淡白なような……いやいや、きっと和泉くんがクールな感じだから。そうだよ、うん。
「私は、今、和泉くんが居てくれて、とっても、その、感謝してるの」
「……は?」
 ドキドキする。こんなこと、言うつもりじゃなかったけど、せっかくの二人きりのときにこそ、こういうことは言っておかないとと思うから。
 和泉くんを向けないけれど、海風の唸りに負けないように、なんとか声を絞り出す。
「こういうパーティー、一人で行きなさいって言われたの、初めてだったんだ。まぁ行きなさいじゃなくて『行ってくれる?』的な感じだったけど」
 歪んだ口角の上がり方をしてるのがわかる。気持ちが変に(たかぶ)っちゃって、涙が出そう。
「いつもなら、父と母の後ろに隠れて、ちょっとニコッとしてご挨拶してるだけでよかった。あとは好きにご飯食べたり、外眺めて暇潰すだけで充分だし」
「…………」
「毎度私も飽き飽きしてた。おんなじことの繰り返しで、私がこんな小綺麗に着飾っても、ホントに見せたい人には見せられない。きょ、今日は、違うけど」
 ブオオオーという客船の汽笛に掻き消されてしまった最後の一文。まぁいいわ。
 汽笛が終わってから、言葉を改める私。
「でも、今日は私が会社の代表だから、今まで父と母がやってたような挨拶だったり、接待だったりを、見様見真似で思い出しながらやらなくちゃいけなかった」
「……ふーん」
「だからホントに緊張してて。重圧で息するのも、苦しくて。家から出て車に乗って和泉くん待ってる間、何度も泣きそうになったりしたの」
「泣きそうに? なんで」
「父と母の顔に泥を塗るような、中途半端なことは出来ないから。私にしか務まらないこと……独りでやらなくちゃいけない責任が、突然その、重くて」
 だから、と口から流れ出ようとした言葉が、涙で揺れていることに気が付いて、慌てて残りの三分の一を飲み干す。
「でもSPが居てくれるって安心感、ていうか、拠り所? それあるだけでも違うの。私のこと知ってる人と……振り返ったら『身内が誰かいる』っていう、それだけで私、父と母の代役を頑張れたの」
 自然に顔を上げて、和泉くんを向き直る。
「だからありがとう。私の『メンタル』、護ってくれて」
「メン、タル?」
 ポカンとした和泉くんは、今まで教室で遠巻きに眺めてきた彼とは違う顔をしていた。かわいい。この顔も推せる!
「うんっ」
 照れちゃうくらいにんまりとして、私も身体ごと夜景を眺めた。
 なんかよかったな、和泉くんにお礼が言えて。素直に気持ち、吐露できて。ばくばくしてた心臓はまだおさまらないけど、昂って泣いてしまいそうになるような気持ちは落ち着いた。そろそろ戻って、また挨拶まわりをしながら、今度は和泉くんとビュッフェをつつこうかな。
「あーあのさ、鴨重」
「ん?」
「俺、鴨重のこと勘違いしてた」