放たれた矢は標的のゾンビ怪人とは遠く離れた方向へ飛び、砂漠の灼けた砂山に突き刺さった。命拾いしたゾンビ怪人が外した射手を嘲笑う。そいつは自分の眼を前を走り去るチャリオットと呼ばれる二輪の戦車へ向かって唾まで吐いた。射手の傍らに座りチャリオットを操る御者は、それを横目で見て、わずかに手綱を引いた。速度を緩めようとしたのだ。その動きを射手は見逃さなかった。
「速度を落とすな」
 第二の矢を弓につがえながら射手は御者に命じた。御者は射手の部活の後輩だった。先輩の命令には逆らえない。手綱を緩める。手綱を通じた御者のテレパシーで制御されていたサイボーグ汗血馬は野生の本性を剥き出しにした。六本の足に張り巡らされた冷脚装置から赤い蒸気の煙を出して突っ走る。暴走する人工の獣に牽引されるチャリオットの速度が急激に上がった。
 これで的に当たるのか、と御者は不安になった。矢の標的のゾンビ怪人はチャリオットが走るコース横の杭に縛り付けられ逃げられない。動かない相手なのだから、王立兵学校の生徒の中で一番の射手である先輩なら、当たりそうなものだが……やはり高速で疾走するチャリオットから矢を命中させるのは至難の業なのだろう、と御者は思った。
 二人が乗っている二輪の戦車は次の標的に接近した。これもゾンビ怪人だ。王国の敵である。王立兵学校を卒業したら、二人が戦う相手だ。職業軍人を育成する学校の体育祭で催される戦車競技で矢の標的とされるに相応しい。
 チャリオットがゾンビ怪人の真横に来る直前、射手は矢を放った。矢はゾンビの胸に深々と突き刺さる。ゾンビ怪人は金気が苦手だ。(やじり)の金属イオンで腐った肉体は速やかに崩壊する。どろどろに溶け始めたゾンビを見て貴賓席でファラオが歓声を上げた。ファラオはゾンビが大嫌いなのだ。王立兵学校の生徒たちに「ゾンビを皆殺しにせよ」と常に命じている。その一方で、同じ不死の怪物であるミイラには保護政策を取っていた。同じ死人なのだから矛盾していると、ファラオと敵対するブードゥーの神官たちは避難している。どっちもどっちだ、と御者は思っている。生物部員の彼から見るとゾンビもミイラも死んだ魔物に変わりない。
 その生物部の先輩が隣の射手だ。体育祭で開催される部活対抗の戦車競技に出ようと後輩を誘った。チャリオットでの戦車戦は授業で行われる。その科目の一つに戦車競技があった。直線コースを走る速度を砂漠で採取した砂の時計で計測し、射手が設置された幾つかの標的を矢で狙う。 速さと正確さを競うのである。同じノリでやればいい、と二人は考えた。ただし授業とは少し勝手が違った。国王陛下つまりファラオが体育祭を見に来ることになったのだ。活躍しているところを気に入られたら、出世の糸口になるかもしれない! という希望が緊張につながったのか、さすがの先輩も第一の矢を外した……と後輩の御者は考えた。
 事実は違った。先輩の射手はファラオに緊張していたのではない。意中の女性に良いところを見せようとして、普段なら絶対にやらないミスをしてしまったのだ。彼は競技の前に、好きな異性に告白していた。相手の女性は「チャリオット競技で一番になったら付き合ってあげてもいい」と答えた。頑張る! と彼は言った。そして第一の矢を外したのである。
 もう絶対に外せない、と射手は考えていた。無心だ、無心になって、矢を放て! そう自分に言い聞かせて、弓を引き絞る。ファラオの歓声が、また上がった。射手が告白した娘の「ガンバー!」という黄色い声援が王家の谷やピラミッドで反響し砂漠の演習場に木霊した。異世界の古代エジプトっぽい場所での、今は昔の出来事である。