君の最後の記憶が私でありますように

君といた夜

いつからだろう。夜、眠れなくなったのは。いつからだろう。笑えなくなってしまったのは。
そんなことを考えながら、今日もベッドで眠れない長い長い夜をひとりぼっちで過ごす。もう慣れてしまったこの時間を心の中に閉じ込めるようにして、目を伏せる。不眠症のことは、両親には言っていない。というか、言える状況じゃない。父親は九条財閥の社長で世界中を飛び回っている。母親はコスメブランド prettyの社長で家に帰ってくることはほとんどない。家には、たくさんのお手伝いさんと私だけ。顔も知らないような人たちが、ご飯を作り、掃除をしている。息がつまるような家に、閉じ込められているような気分になる。でも、ここ以外に私が帰る場所はない。そう思っていた。同じクラスの塩瀬走に出会うまでは。

私は、笑えない。だから、友達もいない。私に喋りかけてきても笑わないのですぐに離れていく。でも走は違った。私が笑わなくても、いつもニコニコして話しかけてきた。ヤンキーみたいな見た目なのに自分のことを「僕」と呼ぶ、なんとも変な人だ。朝、私が教室に入ると必ず、「おはよっ!」と元気な声で挨拶をし、帰るときには、「また明日な!」と言ってくれる。こんな風に私を相手にしてくれる人に出会うのはいつぶりだろう。学校でも、家でも、ずっと一人で過ごしていた私にとって、少し救いの存在だった。ある日、いつものように家に帰ろうと毎日変わらない景色を見ながら、迎えが来る場所まで歩く。着いた頃に、時計を確認するといつもより五分早かった。
「早すぎたな…」
そう思い、空を見上げると少し暗くなり、北極星がチラチラと見え始めている。また今日も長い夜をひとりぼっちで過ごすと思うと嫌になり、深くため息をついた。その時、
「何かあったのか?」
と、声を掛けてきたのは走だった。いつもなら、「なんでもないよ」とはぐらかすが、この日々から抜け出したくなり、不意に
「夜、眠れなくて…」
と、口にしていた。あ、と思い、「嘘だよ」と言おうとしたとき、走はすごく嬉しそうな顔をして、
「僕も最近夜寝れないんだ!」
と、目をキラキラ輝かせて言ってきた。そして、
「寝れないんだったら僕と一緒に夜出掛けない?」
と私に提案をした。私は夜、外に出られない。その事を伝えると、走は
「心配ご無用!僕、運動神経いいんだぜ!」
と言った。そして、
「部屋は何階?」
と聞いてきた。私は、
「3階の一番端っこ。黒いカーテンがかかってるからすぐわかると思う。」
と答えていた。走は、
「りょーかい!じゃあ9時半頃に行くわ!」
と言って走って帰ってしまった。「来るわけない」と思っていても心の奥底で、きてほしいと叫んでいる。そんなことを思っていると、家の車がやってきた。ドアを開け、中に座る。いつもの帰り道より、空が輝いて見えた。

その日の夜、私はいつもどうり、晩御飯を食べ、お風呂に入った。でも、出掛けられるようにパジャマはジャージにした。そして、夜9時半頃。いつものようにベッドに入ると、窓から、「コンコン」とノックが聞こえた。まさか、と思い、窓を開けると、
「よっ!」
っと走が姿を現した。
「ほんとに来ると思わなかった。」
と言うと、
「僕、約束は絶対に破らないから。」
と答えた。
「さぁ、行こう。」
と私に手を差し出す走。頭ではダメだと分かっているのに、体が衝動的に動いていた。走の手をとると、嬉しそうに笑い、
「意外と不真面目なんだな」
と笑った。ふと、下を見るとすごく高くてびっくりした。私の部屋は3階。すぐ側に大きな木が生えている。そこを登ってきたらしく、走は自慢げに笑ってみせた。
「降りれそう?」
と聞かれ、
「降りれるよ!」
と返すと、ケラケラ、
「ごめんごめん」
と笑った。木を降り、塀を登り、私は外に出た。走っている最中、振りかえると、私のベッドが部屋の電気に照らされていた。いつもの寂しい夜とお別れ。そう思うと、胸が弾んだ。走に、
「どこに行きたい?」
と聞かれ、無意識に
「星が見たい。」
と言っていた。走は
「星ね…。りょーかい!じゃあ僕の家、寄ってもいい?」
と聞いてきたので、なにするんだろう?と思いながらも、
「わかった。」
と言った。少し走り、走の家についた。家に電気は付いていなくて、思わず
「お父さんたちは?」
と聞いていた。走は何事もないように、
「父さんも母さんもほとんど家に帰ってこない。」
と言った。私と同じだ。でも、なんで?そんなことを考えていると、
「おっけー!準備完了!これつけて。」
とヘルメットを渡された。?と思い、走を見ると大きなバイクに跨がっていた。
「星が見える場所、知ってるけどちょっと遠いからこれで行こう。」
初めて乗るバイク。すごくドキドキした。
「それじゃ、行こうか。」
そう言い、アクセルをふかす走。その姿が夜なのに太陽のように見えた。しばらく走り、山の頂上付近に来たとき、バイクが止まり、
「着いたよ。」
という走の声。バイクを降り、ヘルメットを外すと、思わず
「うわぁ…」
と声が出ていた。夜空に満天の星空なんて言葉では表しきれないぐらいの星が輝いていた。北極星が帰るときよりキラキラと輝いている。ここが地球とは思えないほどの感動が私を包んでいる。
「ここ、ちょー綺麗に星見えるでしょ。」
と走が自慢げに笑う。その姿がおかしくて、思わず笑ってしまった。その瞬間、走が目を見張って
「今、笑った?笑ったよね?」
と聞いてきた。私が、
「え、あ、うん。笑ったと思う。」
と言うと、私の手を握って、
「笑えんじゃん!!」
と驚いていた。自分でもびっくり。笑ったのなんて何年ぶりだろう。でも、いつもの自分から抜け出せたような気がして嬉しかった。二人で喜びを共有して、距離がぐっと縮まった気がした。その後はベンチに座って色んなことを話した。好きな食べ物、曲、スポーツ、動物。苦手な食べ物、教科。なんでこの学校に来たのか。どこ出身か。なんで僕呼びなのか。全て話した。お互い、家族のこと意外は。

あのあと、気がついたら空が明るくなってきていたので急いで帰った。今日も学校だが、眠くはなく、疲れてもいなかった。少しだけ、学校が楽しみだった。学校に行くと、走がいつものように挨拶をしてきた。いつもと変わらない一日のはずが世界が少し明るく見えた。

その夜、走は10時半頃に私の家に来た。昨日と同じように、木を降り、塀を登る。今日は走が行ってみたい所に行くらしい。どこに行くのか分からなかったが不思議と、怖くはなかった。走がいるから。
バイクに乗り、着いた所は廃病院。
「ねぇ、待って。ここどこ?」
「ここ知らない?僕たちよく肝試しで来るんだけど、夜来たことないから来てみたかったんだよなー。」
と走は言った。私は怖いものはどちらかというと苦手な方だ。
「いや、むりむりむりむり。」
「大丈夫だって。僕がいるから。」
そう言い、走は私の手を握った。その瞬間に心臓がドクンと高鳴る。顔が熱い。
「どうした?顔、真っ赤だぞ。」
と走に言われ、
「なんでもない。暑いだけ。」
と、返した。走はじゃ、行くか。とどこにしまっていたのか、懐中電灯を取り出し、電気をつけた。辺りが少しだけ明るくなる。それでも、私の恐怖は消えなかった。中に入ると、予想以上の壊れようであちこちから電線のようなものや、麻酔をかける棒のようなものがたっていて、床には、メスやハサミが散乱していた。
「ねぇ、やっぱ帰らない?」
「まだ来たばっかじゃん。大丈夫だって。」
その瞬間、頭上にあった棚から包帯が落ちてきて、私の頭に当たった。
「きゃあああああ!!!」
私はパニックを起こして咄嗟に走り出してしまった。
「おい!どこ行くんだよ!」
と言う走の声が聞こえるが、足が止まらない。気づけば、知らない所に来ていた。走もいない。やっと落ち着いた私はこの状況に足が震えた。走がいない。また、夜ひとりぼっち。嫌だ。嫌だ。一人にしないで。私を置いていかないで。知らないうちに、涙が出てきた。視界が歪む。立っていられなくなり、うずくまって泣いた。なんだか久しぶりのこの感覚。長い夜にひとりぼっちの感覚。その瞬間、足音が聞こえた。
「走?」
「雫!!どこ行ってんだよ!心配したんだからな!」
そう言い、私の腕を引っ張って起こしてくれた。そして、泣いている顔を見て、
「大丈夫か?」
気づけば走に抱きついていた。
「またひとりぼっちになったかと思った。怖かった。」
そう言いながら泣いている私の髪を撫でて、
「大丈夫。僕はずっと雫の側にいるよ。」
と優しい声で言ってくれた。それに安心してもっと涙が出てくる。
「帰ろうか。」
という走の柔らかい声にうなずき、廃病院を出て家に帰った。


それから毎日、夜にいろんな所に行った。夜の海、公園、野原。走といた夜全てが、夜じゃないんじゃないかと思うほど、輝いていた。この日々がいつまでも続けばいいのになと願わずにはいられなかった。


ある日、また窓から出ようとしていた所に、お手伝いさんがやってきてしまった。
「どこ行くんですか!!こんな時間に!!」
と叫ぶお手伝いさんに、走は見つかってしまった。
「あなたですか?こんな時間に雫さんを連れ出そうとしているのは?もう来ないで下さい!!」
と言い、窓を閉めた。そして
「これからは見張りをつけます」
と言って、部屋を出ていってしまった。

その日から、また私は眠れない長い夜を一人で過ごした。夜ってこんなに暗かったっけ。夜ってこんなに寒かったっけ。夜ってこんなに長かったっけ。走がいないだけで、私の夜は水のないプールのような空っぽの時間になった。辛い。走に会いたい。あの手に触れたい。私の手が走の温もりを覚えている。耳元で聞こえる、柔らかい声。叫びたいほど、寂しい。こんな時間がずっと続くと思うと胸が張り裂けそうだった。