そんな状況に変化が訪れたのは、彼を見守り始めて数ヶ月経った頃。

その日は授業が突然休校になって時間が空いたので、図書室で自習をしていた。岩泉君と一緒の授業はどうしても集中しきれない為、念入りな予習と復習が必要なのだ。

私は物心ついた頃から10歳までの間、父親の仕事の都合でアメリカで生活をしていた。父親の方針で日本人学校ではなくインターナショナルスクールに籍を置き、当時は日本語より英語の方が使い勝手が良いと感じていた。日本に戻って不自由なく日本語を話せるようにってからは、英語を忘れないようにと勉強を続けた。その内、語学の勉強が楽しいと感じるようになり、様々な国の言語を独学で広く浅く学んだりもしていた。

そんな私にとって語学は趣味のようなものなので、その勉強は苦にならない。集中して勉強していた私は、声をかけられるまで人の気配に気づけなかった。

「それってアラビア語だよね?俺も同じ授業受けてるんだ。随分先まで予習してるんだね」

顔を上げるとそこにいたのは恐れ多くも岩泉君とその友達の坂井啓介君で、私に声をかけたのは坂井君だった。

予想外の出来事に驚いて固まる私を無視して、坂井君が話し続ける。

「つーかこのノート、すっごい見やすいね。よくまとまってる、、ちょっと見せてもらっていい?」

坂井君は私のノートを手にとり、パラパラとページをめくった。

「アラビア語って文字が変形するじゃん?単語も覚えづらいし、、ふーん、文法から入った方がわかりやすいんだね?なるほど、、ねえ、このノートコピーさせてもらってもいい?」

「え?あ、はい、、」

「ちょっとダッシュで行ってくる!誠太郎、ここで待ってて!」

そう言って坂井君は私と岩泉君を置いてノートと共に颯爽と消えてしまった。コピー機は図書室にもあるので、そう時間はかからないだろう。だけど、何とも気まずい空気が流れる。

どうしていいかわからず、テキストに視線を落とした。

岩泉君はそんな私を気にするでもなく、机の向かい側に座って坂井君が戻るのを待つことにしたようだった。

こんなチャンスは二度とないかもしれない。何か話さなきゃ、、そう思うのに、何も言葉が浮かばなくてテキストを眺め続ける。

「なんでアラビア語を選択したの?」

顔を上げると、いつの間にかこっちを見ていたらしい岩泉君と目が合った。

「え、あ、、面白そう、、だったからかな?」

「面白そう?」

「英語と共通する言語がほとんどないし、文法もかなりややこしい。ロシア語も面白そうで悩んだけど、アラビア語のクラスは珍しいから、、」

そこまで話したところで、坂井君が戻ってきた。

「ノートありがとう。難し過ぎて完全に挫けそうだったけど、おかげでもう少し頑張れそう」

重ねてお礼を言われ、また授業でねー!と手を振り、坂井君は岩泉君と共に去っていった。