龍は千年、桜の花を待ちわびる

空が白み始めた早朝、私たちは部屋へ戻った。もう、私たちが触れ合うことはなかった。手を繋ぐことも、なかった。

私の部屋の前に差し掛かると、皇帝と皇后、動揺した愛李が居た。


「陛下…。」


驚いて声を掛けると、皇帝はこちらを振り返り私に詰め寄った。


「桜琳、昨晩何をしておった! 様子を見にくれば部屋はもぬけの殻、しかも何だその汚れた服は! そんな薄着で男と一晩を過ごすなど…! お前は皇太子の婚約者なのだぞ! 自覚を持て!」
「…申し訳ありません。」


私は無表情でただ頭を下げた。

弁明の余地もないほど、全てが正論だった。けれど、皇帝の表情を見てそれ以上何も言う必要はないと分かった。
言葉や口調こそ厳しいけれど、表情が伴っていない。なんて悲しそうな顔をして叱責をするんだろう。


「皇憐、そなたもだ!」


皇帝は皇憐にも同様に声を掛けたが、皇憐はただ「すまん」と言って皇帝の脇を通り抜けて行ってしまった。恐らく自室へ戻るのだろう。

皇帝はもう用はないとでも言うかのように踵を返すと、その場を後にした。


「…桜琳。」


皇后に声を掛けられて、私は無表情のまま皇后を見つめた。皇后は私を抱き締めて囁くように言った。


「分かってるの。でも、建前でもああしないと…。」
「皇后様。」


私は皇后の背中に腕を回すと、同じく囁くように返した。


「分かっています。」
「ごめんなさいね、1度はあなたたちを祝福したというのに…。」


皇后の肩は震えていた。私はただ首を横に振ることしかできなかった。そんな風に心を砕いてもらえるだけで、私には十分だった。

皇后が皇帝の後を追うようにその場を後にすると、愛李が震える声で言った。


「申し訳ありません、桜琳様…。私が皇帝陛下に桜琳様が部屋にいらっしゃらないと伝えてしまったせいで…。」


私と皇后の会話は愛李には聞こえていなかったようだ。私は「大丈夫よ」と笑うと、自室へと入った。


「これから湯浴みをしていただいて、その後儀式の衣装へお召し替えになります。」
「分かったわ。…そうだ。衣装なのだけど、できるだけ袖が長い物を用意してもらえるかしら。」
「かしこまりました…。」


愛李は不思議そうに首を傾げながら返事をした。
私は湯浴みを済ませると、愛李に手伝ってもらって着替えを済ませた。衣装の袖は腕を下ろすと手がスッポリと隠れる長さだった。


「ごめんね、こんな目で…。」
「いいえ、腕がなります! お任せください!」


一晩中泣いていたせいで、私の瞼は腫れ上がってしまっていた。けれど化粧が終わる頃には、愛李の技術で普段と左程変わらない見た目となっていた。


「ありがとう。」


笑ってそうお礼を言うと、愛李は眉を垂れさせて微笑んだ。用意を済ませた私たちは、部屋を出て祭壇へと向かった。


(不思議。)


昨晩のこと…いや、先程まで、が正確だろうか。嘘のように心が落ち着いている。実感が湧かないせいだろうか。もはや、何も感じない。


祭壇に着くと、準備は既に完了しているようだった。


祭壇の上には長方形の箱が置かれていた。両脇には取手がついており、蓋は箱に立てかけられている。
祭壇の階段下では火が煌々(こうこう)と燃えており、そこに秀明が居た。

そして祭壇を円を描くように囲む鬼たちは、各々が得意とする楽器を手にしていた。どうやら皇憐の鱗を混ぜた水晶を介して力を発揮し、楽器の音色でその力を増幅させるという仕組みらしい。秀明の霊力とその力を利用し、外からの封印を行うんだとか。


私は少し離れた所に立っていた。といっても、身分の都合上私の並びには皇族しかおらず、重役たちはそれよりも後ろに居た。

見たくもないのに、見晴らしが良い。


少しして、皇憐が現れた。皇憐は誰にも目をくれず祭壇へと上り、箱の前に立った。正装をした皇憐を見たことはほとんどない。

不謹慎にもかっこよくて見惚れてしまいそうになり、そっと目を閉じた。


「これより、儀式を執り行います。」


秀明の声で、私はゆっくりと目を開けた。

しっかり見届けなければ。未来の皇后として、皆の支えとして、仲間として。そして…皇憐を愛する者として。