龍は千年、桜の花を待ちわびる

水凪の家は、家というより(やしろ)だった。建物の前には賽銭箱や供物(くもつ)を置くための場所が設けられており、まさしく神様扱いだ。
入口は建物正面ではなく、正面を少し過ぎた所にあった。日本でいう勝手口のような印象だ。


「おじゃましまーす…。」


屋内に入ると、田舎の民家のような懐かしさを覚えた。とはいっても、神様扱いされているだけあって大分豪華ではあるのだが…。
水凪の家は土足厳禁だそうで、玄関で靴を脱いでいると壁に立てかけられた大きな包みに気が付いた。


「気になるか?」


声を掛けられて振り返ると、水凪が微笑んでこちらを見ていた。


「ご、ごめんなさい。人の家で…。」
「気にすることはない。これは宮殿に持って行く楽器だ。」


水凪は包みを手に取ると、中身を見せてくれた。

そういえば、この旅の目的は各地の鬼だけでなく、彼らが管理する楽器とともに宮殿へ戻ることだった。


「これ…何ですか?」
二胡(にこ)だ。」


そういえば、中国の伝統楽器にもそんな名前の楽器があったような…。


「立ち話も何だし、茶でも淹れてくれてもいいんだぞ、水凪。」
「…それもそうだな、客人をもてなしもせずすまない。」


水凪は微笑んで返事をすると包みを持って家に上がり、私たちを居間に案内し、温かいお茶を出してくれた。

少し話をして私も水凪もやっと互いに慣れてきた頃、私は気になっていたことを切り出した。


「ねぇ水凪。二胡、弾いてみてくれない?」
「俺も久々に聞きてぇな。」


皇憐も乗り気だ。水凪は少し照れたように微笑みながら先程の包みを再度開き、二胡を構えた。
1000年も昔も楽器とは到底思えない。毎日磨いているんだろうか、微塵(みじん)の汚れもない。こんなに美しい楽器を見たのは初めてだ。

水凪が二胡を奏で始めると、あまりの美しい音色に一瞬思考が停止した。まるで緩やかな水のよう。


(あれ…? この曲…知ってる…。)


でもどこで聞いたのか全く思い出せない。けれどとても懐かしくて、堪らなく切なくて、苦しくて。

いつの間にか涙が頬を伝っていた。


「結…? どうしたのだ?」


私の異変に気が付いた水凪は演奏の手を止めた。


「結?」
「な、何でもないの。水凪の演奏があんまりにも綺麗だから、感動しちゃって…。」


私が慌てて涙を拭うと、水凪は笑って演奏を再開した。けれど、今度は違う曲だった。

皇憐はただジッと私を見つめていた。