新そよ風に乗って ⑦ 〜Saudade〜

黙って見ていた私の前に、高橋さんが立った。
「遅くなるから、もう帰った方がいい。 下まで送っていくぞ。 ヤキモチ妬きの、お嬢さん」
ヤキモチ妬きの、お嬢さんって……。
「べ、別に、そんなことないですから」
「フッ……なぁーにムキになってるんだか。 ほら、行くぞ」
高橋さんが、ドアの方へと歩きかけた。
「嫌……です」
まだ、帰りたくない。
やっと、この連休の悶々とした思いが解消されつつある時に、もう帰らなければならないなんて。
先ほどの看護師さんのことも気になって、更に気持ちを煽っているのかもしれない。
その声に、高橋さんが振り向いて私を見た。
「私……まだ帰りたくないです」
すると、高橋さんが私の髪を掻き分けた。
「俺だって、お前を帰したくはない」
高橋さん……。
嬉しさに戸惑いから視線を逸らすと、ふと視界に入ったものがあった。
そうだ!
「高橋さん。 今夜、此処に泊まっちゃ駄目ですか?」
そう言いながら私が向けた視線の先を、辿るようにして高橋さんも見た。
そして、お互いに同じ場所へと視線を向けた。
「お前……」
その視線の先には、ソファーベッドが置いてあった。
高橋さんが、視線をゆっくりとこちらに戻した。
「痛っ……」
同時に、左手の拳で私の頭を軽く叩いた。
「なぁーに、言ってんだか。 無理に決まってるだろ? 重病でもない限り、付き添いなんて認められないんだから」
真面目に言ったつもりだったのに、まるで冗談で言ったみたいに取られてしまったようだった。
「そんな……私、ほん……ンッ……ンンッ……」
フワッと、高橋さんの香りがしたなと思った途端、会話の途中だったのに高橋さんがキスをした。
突然のことに、心臓が飛び出そうな勢いでアタックしていて、高橋さんの唇が静かに離れても、まだドキドキしていた。
「金曜には、会える。 それまで我慢しろ。 分かった?」
顎を持たれたまま、肯定しか許されないような状況に仕方なく頷いた。
「いい子だ」
高橋さんは、クシャッと私の頭を撫でると優しく微笑んだ。
「でも……それなら、明日も来ていいですか?」
高橋さんを、懇願するように見上げた。
すると、高橋さんは僅かな時間だったが、目を瞑りながら口元を緩ませた。
「いいよ! と、言ってやりたいところだが……明日も俺は居ないし、明日、明後日は前倒しで締めが忙しいと思うから、中原を助けてやってくれ。 いいな?」
痛いところを突かれ、口が尖ってしまった。
中原さんが忙しいことも知っているから、尚更だ
「そんな、口尖らせないの。 笑って、笑って」
高橋さんが、両頬をわざと引っ張った
「ふにっ……」
「ハハッ……。 お前は、本当に緊張感のない奴だな」
「もう! 誰が、いけないんですか? プッ……」
不満を言いながらも、何故か笑ってしまった。
この何でもない高橋さんとのひとときが、至福の時に感じられる。
「ほら。 どんどん遅くなるから、行くぞ」
それでも、そんなひとときを容赦なくぶち壊すのも、高橋さんだったりもするんだけれど……。
エレベーターに乗って面会出入り口のところまで、高橋さんが一緒に来てくれた。