それから伊吹は茫然と考えごとをして周囲の声が聞こえなくなっていた。


 ――いいなー、やっぱり社会人と付き合うっていいよね――

 小春の言葉が頭によみがえってくる。


 ――彼と何かあったの? ケンカでもした?――

 夏休みにいろはが涙ぐんでいた様子を思い出し、伊吹は猛烈に苛立ってきた。


(あの男が、彼女を、泣かした!)

 伊吹は拳を握りしめ、歯を食いしばった。

 きっと彼女は騙されているんだと思った。


「伊吹、どうしたの? あんた、ぼうっとして」

 朝陽に話しかけられた伊吹はようやく我に返った。


「あのね、いぶきはパンダのおねえちゃんが好きなの」

「な、何言ってんだ?」

 伊吹が驚いて慌てふためくと、ひびきは笑顔で「パンダはお兄ちゃんが好きなのよ」と言った。

 伊吹は苛立ちを感じて、黙った。


「へえ、パンダが好きなの? 知らなかったわ」

 と朝陽は少し驚いた顔をしつつも、まあ別に嫌う人もいないかとぼそりと言った。


 伊吹はいろはたちが立ち去っていった方向を再度見た。

 けれど、当たり前だがそこにはもう彼らの姿はなかった。


 伊吹はあの男の顔が忘れられない。

 あの一瞬で思った。


(あいつ、似ている。長門にそっくりだ。絶対ヤバイ奴だ!)