しかし奴はその怒りを真っ向から受けても物ともしなかった。
それどころか、ふてぶてしく「はん」と鼻を鳴らす。
「…ふざける?ふざけとるんはどっちのほうや?」
いつの間にか笑っていた筈のその目が凍てついている。
「俺のことを勝手と言って、この場で勝手なことしてんのは誰や?」
その言葉に黒スーツの男がわずかにピクリと反応した。
「勝手に突っ走ってどうするつもりや?お前らしくも無い」
「…………」
男の表情から感情が消えていった。
急に何かが冷めたらしい。
元の無表情へと返る。
「ふん」
錫杖を収め、一度だけこちらを睨んできた。
しかしそれっきり、視線を交わすことなく顔をそらす。
「――今は退く」
踵を返し、その言葉通りに実にあっさりと退いた。
姿勢を正したまま去っていく。
「……え」
その突然の変わり身に一瞬呆然とした。
おいこら。勝手に襲ってきておいて勝手に帰るのか。
何だか状況に全くついていけず、俺だけが置いてけぼりを食らってるような感じだ。
「待てっ」
追いかけようとして、脇腹あたりがズキリと鈍く痛んだ。
「…無理すんなって」
前方でそう言うのは、チャラけた顔の瀬川だ。
「物騒な事はひとまず置いといて、今日は一日楽しもうや」
にっと笑って、ポケットに片手を突っ込み、もう片手でひらひらと手を振る。
「……あ」
呼び止める間もなかった。
奴は黒スーツの男が消え去った方へと続いていく。
見送るその傍で微かな風が掠めすぎていく。
わずかに耳朶を揺らす程度の…。
『――ふふふふ…』
はっと立ち尽くす。
今のは風の悪戯か?
不気味な笑い声が頭蓋の内から響いたような…。
やがて、その場には俺達以外の誰も居なくなった。

