「まだ寝てない悪い子はだーれだっ?」
「ひゃっ!」
 突然背後から声がかけられて、わたしは小さく悲鳴を上げた。
「ま、松川先輩……!」
 振り返った私の前にいたのは、松川先輩その人だった。
「ああ、木ノ下さんか。もうとっくに就寝時間は過ぎてるよー」
「せ、先輩こそ起きてるじゃないですか」
 赤い顔を隠すように私は前を向き直って、先輩に言う。
「まだ興奮が冷めなくて、なかなか寝付けないんです」
「おっ、もしかして俺のサヨナラに惚れた?」
 後ろから顔をのぞかれて、カッと頬が熱くなる。
「べべべ、別にそんなことはっ!」
 あわてる私を見て、先輩はあはは、と笑った。
 こんな時だけど、その人懐っこい笑顔にきゅんとしてしまう。
「俺もおんなじ。まだあの時の感触が残っててさ」
 そう言って、先輩は自分の手のひらをぐっぱぐっぱと握ったり開いたりする。
「負ければ、俺たち三年は引退だからな。まだ夏は終わらせねーよ」
 ニッと笑って先輩は言うけど、わたしは『引退』という言葉で胸がぎゅっとなる感じがした。
 わかってはいたけど、考えたくなくて頭の隅に追いやってた。
 だけど、負けたら先輩はもういなくなっちゃう。この夏が、私が先輩といられる最初で最後の夏。その事実は変わらないんだ。