「俺、成仏しようと思うんだ」

 放課後のあの公園で、幽霊さんがぽつりと言った。
 私は「え?」と目を見開く。

「じょう、じょ……え?」
「そろそろ……俺さ、実は神様?に無理言ってまだこの世にいさせてもらってるんだよ」
「そうなんだ…」
「で、そんときに『成仏したくなったら、自分で手がかりを見つけて成仏してくれ』って言われちゃってさ」
「ふうん……」
「で、未練がなくなったら、成仏できるんじゃないかって」
「うん……」

 私は俯いた。
 幽霊さんはずっと私の元にいてくれると、当たり前のように思っていた。でも、彼は幽霊だから、いつかは成仏しなければいけない。
 正直、幽霊さんがいなくなったら、私は一人で立ち上がれない気がする。

「葉凪? どした?」
「! ううん、ちょっと考え事」
「そう? ならいいけど」

 幽霊さんが不思議そうに首を傾げた。

「それでさ。葉凪に、成仏する手伝いをしてほしいの」

 手伝い……。
 私は断れなくて、こくりと頷いてしまった。

「ありがとう。明日は土曜日だから、明日、お願いね」
「わ、かった」
「じゃ、また明日」

 彼は私に手を振り、ふよふよとどこかへ消えていった。私は彼が消えて行った方をぼーっと眺め、しばらくしてから立ち上がった。



「幽霊さんの未練は?」

 私は幽霊さんを家に招いき、訊ねてみた。

「んー、なんだろう…。小さな未練でいいなら、あるけど」
「なに?」
「海に、行きたい」

 …。
 ……。

「えっ。こんな寒い時期に……?」
「だめ?」
「い、いいけど…」
「じゃ、海行こ」

 ということで、私達は海に行くことになった。



 電車に揺られること一時間半。海に着いた。

「海、入りたいの?」

 幽霊さんに訊ねると、彼は「ううん。見るだけでいい」と首を振った。私は「そう」と小さく返事をする。

「うわあ、広いなあ」
「うん」
「久しぶりだなあ」
「うん」

 私は上の空で幽霊さんの言葉に相槌を打つ。
 幽霊さんは、いつ消えるのだろう。消えないでほしい。

「葉凪ー?」

 彼が、私の目の前で手をひらひらと振った。
 私は我に返り、「なに?」と顔を上げる。

「ぼーっとしてどうしたの?」
「なんでもな」

 え。

「どうしたの?」
「幽霊さん、か、体……っ!」

 幽霊さんの半透明の体が、透明感を増していた。つまり、薄くなっている。

「あー、未練が一つ消えたからかも」
「え……なんで……」
「はは、まあしょうがないよ」
「……」
「帰ろうか」
「…うん…」

 私は立ち上がり、鼻歌を歌いながら駅へ歩く幽霊さんの後ろをとぼとぼと着いていく。すると突然、彼が「あっ」と声を上げ、嬉しそうな顔をして幽霊さんが振り向いた。

「未練、もう一つ思いついちゃった」
「……なに」
「葉凪が自信を持てるようにしたい」
「っ……」
「じゃ、明日からね」
 彼がまた歩き出す。私は俯いて、彼の後ろを着いていった。



「まずさ、俯かないようにするんだ」
「うーん…無理」
「こら。やる前に無理って言わない」
「はーい……」

 私は幽霊さんに修行?されていた。

「あ。あと猫背とイヤホンは禁止ね」
「ええ……。いきなり厳しくない…?」
「普通だよ」
「容赦なさすぎる」

 私は泣く泣くイヤホンを学生鞄から出した。

「じゃあ次は、友達を作る方法」

 幽霊さんが手を上げる。
 なんだか先生みたい、と思った。

「友達を作るときは、いきなり『友達にならない?』とは言わないで、こう、共通の趣味とか……葉凪だったら、たとえば読書とか。『友達にならない?』じゃなくて、『なんの本読んでるの?』って話した方が良いと思う。俺は」
「うんうん」

 私はこくこくと頷く。なるほど。意外と勉強になる。

「でも……私から話すの、無理――じゃなくて、緊張する」
「そうか。うーん、じゃあ、話しやすいオーラを出すんだ」
「あー…」
「それでも誰も話しかけてくれなかったら、自分から話せ」
「うん……」

 幽霊さんはふー、と息を吐いた。

「頑張れ。高一中には友達作って」
「うーん……わかった」
「うん、よかった」

 幽霊さんが笑った。その瞬間、幽霊さんの体がまた薄くなる。

「ゆうれい、さん」
「あはは。まあ、しょうがないよ」

 幽霊さんがへらりと笑う。
 その顔を見たとき、すごく悲しくて。

「『しょうがないよ』で、済まさないで」

 気が付いたら私は、少し震えた低い声で、幽霊さんに言い放ってしまった。笑っていた彼が、驚いた顔をしている。

「私は、こんなに悲しいのに。なんで『しょうがないよ』で済ますの? 私の気持ちを軽く扱ってるの?」
「そういうわけじゃない、」
「なんで幽霊さんは、『しょうがないよ』で済ませられるの⁉」

 声を上げた後、私ははっとして幽霊さんを見る。幽霊さんは、悲しそうな顔をしていた。
――幽霊さんのほうが、私よりも、もっともっと悲しいに決まってる。

「ごめん、なさい」
「いや、俺のほうこそごめん」

 気まずい沈黙。
 その沈黙を破ったのは、私だった。

「どうしても、幽霊さんが消えるのが、悲しくて、怖くて。今の私は、幽霊さんがいない世界で、生きられる気がしなくて」

 なんだか、お兄ちゃんが死んだときみたいに、悲しくなった。息苦しくなった。幽霊になったお兄ちゃんを、また失うような気分だった。

「ごめん」

 幽霊さんが俯いた。俯いているせいで、どんな表情をしているのか見えない。

「でも俺は、成仏しないといけないんだ」
「うん……知ってる。私もごめん」
「ありがとう……葉凪は優しいな」
「そんなこと、ないよ……」

 顔を上げた幽霊さんは、優しく微笑んでいた。なんだかその笑みが、とても懐かしい。

「――お兄ちゃんに、会いたいなあ」

 私の口から、そんな独り言が漏れた。
 幽霊さんは、切なげな表情をする私に微笑みかけるだけだった。