朝六時に、アラームの音に叩き起こされる。もっと寝ていたい、という私の要望を無視して鳴り響くアラームに苛々しながら、私は起き上がった。
お母さんは仕事に行っていて、もう家にはいないので私はお母さんが用意してくれた、ハムエッグトーストを食べる。
そして、昨日作り置きしておいたおかずや昨日の残り物をお弁当箱に詰め、巾着に入れた。
洗い物を済ませて歯を磨いてから制服に着替える。
八時過ぎに家を出た。
外に出ると、冬の冷たい風が通り抜けた。ポケットに忍ばせておいた手袋をつけていると、「おはよう」と声が聞こえてきた。後ろには、昨日と同じ服装の幽霊さん。
「おはよう。そんな薄着で、寒くないの?」
私がそう訊ねると、幽霊さんは「寒くないよ」と笑う。嘘をついている顔には見えなかったので、私は「そう」と頷いた。
「寒かったら言って。手袋、予備あるし、マフラーもあるし……」
「もしも俺がつけたら、手袋が浮いてるように見えるよ」
「あ、そっか」
苦笑いしながら歩く。
「今日は曇りだなあ」
幽霊さんが空を見上げながら言った。私も上を向く。空は、厚く灰色の雲に覆われていた。
「幽霊さんって、空好きなの?」
「うん。そうだよ」
「晴れと曇りと雨、どれが好き?」
「全部好き」
「ふうん」
くだらない会話をしていると、あっという間に高校に着いた。
幽霊さんが後ろをついてくる。
教室に入る。誰も私を見ない。だけどなぜ、こんなにも視線を感じるのだろう。幽霊さんがいるから、俯けない。イヤホンもつけれない。不自由だなあ、とふと思う。
彼は私の机に頬杖をつき、ぼんやりと空を眺めていた。
「幽霊さんって、なんで成仏しないの?」
放課後、幽霊さんがいつもいた公園で訊ねてみた。
「成仏しない、っていうか……成仏、できないんだ」
「成仏できない…?」
私は幽霊さんの言葉に首をひねる。
「できないってことは、なにかあるの?」
「うーん? 俺もよくわかんないんだ。成仏はしたいんだけどね。この世にふわふわ漂っていても、意味はないから」
「そ、っか…」
幽霊さんは相変わらず、空を眺めていた。
私は彼から目を逸らし、「あの」と口を開く。
「幽霊さんって、なんで死んだの?」
「え? 死因? うーんとねえ…、病気……? だったかな?」
「病気…?」
私は言葉を失って幽霊さんの横顔を見つめる。彼の灰色の瞳には、空が薄く映っていた。
「小学一年生のとき、病気で死んだ。その病気は、生まれつきで」
なんて返事をすればいいのかわからなくて、私は黙り込んでしまう。
なんとなく、幽霊さんと同じような人物が頭に思い浮かんだ。
――お兄ちゃん。
私が年少さんのときに病気で亡くなってしまった、お兄ちゃん。生まれつき病気――なんの病気か、お母さんが教えてくれなかった――で、小一という若さで亡くなった、私のお兄ちゃん。大好きなお兄ちゃん。
ぽろりと、涙がこぼれた。
幽霊さんが目を見開く。
「えっ、どうしたの⁉ なんか傷つけること言った⁉ ごめん葉凪!」
『葉凪』と優しく私を呼ぶお兄ちゃんの声を思い出して、涙がもっと溢れた。
その日、久しぶりにお兄ちゃんの夢を見た。
『葉凪』
私の名前を柔らかく呼ぶ、その声が大好きだった。
小一のときの、お兄ちゃんの姿。
『お兄ちゃん』
『なに?』
『……どこにも行かないでね』
約束、と私が小指を差し出すと、お兄ちゃんは『僕は、』と口を開く。
そこで、目が覚めた。
「っ! ……」
起きて、すぐ夢だと理解する。
悲しい、悲しい、悲しい。お兄ちゃん……。
だが私はもう朝なのだと気が付き、涙をぐっと堪えてベッドを出た。
家を出ると、幽霊さんが「よ」と片手を上げた。
「うん、おはよ……」
「あれ、元気ない? どした?」
「っ、うん……」
「葉凪?」
幽霊さんが怪訝そうに眉をひそめ、私の顔を覗き込む。
私はぎゅっと唇を噛んだ。
「なんかあった?」
幽霊さんが優しい声で訊ねてくる。彼の優しさに触れたせいで、私の涙腺は崩壊した。途端に、幽霊さんが目を瞠る。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
私には触れられない代わりに、幽霊さんは優しく微笑んだ。――悲しそうに、苦しそうに。
「なにがあったか、話せる?」
幽霊さんが首を傾げる。
私は彼に話したくなくて、首を横に振った。
「そっか。よーしよし、大丈夫。俺がいるよ」
幽霊さんの『俺がいるよ』という言葉に、私はひどく安心した。彼がいてくれてよかった、と心から思った。