高校への道を一人、俯きながらとぼとぼと歩く。自然と猫背になってしまっていて、慌てて姿勢を正した。まあでも……きっと誰も見てないし、いいか。
 そして私は、ある場所で足を止めた。いつも前を通る公園の中を覗く。
 やっぱり、今日もいた。
 白い長そでに黒い長ズボン、風に揺れる黒い髪、整った白い顔。
 彼はいつも通り、涼しげな顔で空を見上げていた。私は彼の姿をぼーっと見た後、踵を返した。



 俯いて教室に入る。正面を向いていると目が見えてしまうので、前髪を伸ばして俯いていればいい。
 席に座る。
 イヤホンを耳につけ、スマホで好きでもないアーティストの音楽を適当に選択する。学生鞄から文庫本を取り出し、読み始めた。
 周りの喧騒は音楽でかき消されるので、あまり気にならない。だが、完全に喧騒がかき消されるわけではないのだ。もしも私の噂話をしていたら、と思うと背筋が凍った。
 やがてSHRが始まり、私はイヤホンを耳から取ってスマホと文庫本と共に学生鞄にしまった。



 私はいつも一人だ。
 朝も、休み時間も、昼も、帰りも、夜も。ずっとずっと、一人。
 朝、誰かと一緒に高校への道を歩きたい。休み時間、誰かとじゃれあいたい。昼、誰かと楽しくお弁当を食べたい。帰り、誰かと寄り道をしたい。夜、寝落ち通話をしたい。
 そんな叶わぬ要望が、私の中に生まれる。
 でも無理だから。私の夢は、夢として終わる。
 なんだか、心にぽっかりと穴が開いてしまった気分だ。嬉しい気持ち、楽しい気持ちは穴から落ちていってしまう。でも、悲しい気持ちも寂しい気持ちも落ちていってくれるので、私はまだここにいられる。



 また、いる。
 空を見上げている男性。彼は石像のように、ぴくりとも動かない。
 彼は、なにを考えているのだろう。唐突に、そう思った。彼に話しかけたいという気持ちに心が支配される。
 そして私は、公園へ足を踏み入れた。
 迷惑じゃないだろうか、とか、そういう気持ちはなかった。

「――あの」

 私が精一杯出した声は、思ったよりも小さくて、震えていた。でも彼にはきちんと聞こえていて、驚いたようにこちらを見る。
 その瞬間、私は目を瞠った。
 彼の瞳の色が、黒ではなく、灰色だったからだ。
 その目は――私と、同じだった。私も瞳が灰色だ。そのせいで私は、クラスで孤立している。カラコンを入れていると疑われたことは、何十回もある。
 彼が首を傾げた。私はまた口を開く。

「ごめんなさい、急に声をかけてしまって…」

 そう頭を下げると、彼は「いや、いいんだけど……」と驚いたように私を見つめる。

「もしかして、俺のこと……視える?」
「へ?」

 私は訳がわからず首を傾げる。
 当たり前ですよ、と言うと、そうかあ、と彼が嬉しそうに微笑んだ。

「俺実は、幽霊なんだ」

 彼がぽつりと呟いた。
 変な嘘をつく人もいるもんだ、なんて思う。

「本当ですか?」

 そう訊ねると、本当だよ、と彼が頷いた。

「変な嘘ではなくて?」
「もちろん。じゃあ、握手してみる?」
「そうですね…」

 私は伸ばされた彼の手に、自分の手を重ねる――が、私の手は彼の手をすり抜けてしまった。

「え……え?」

 私は訳がわからず、自分の手と彼の手を交互に見る。

「もしかして、本当に……?」
「そう言ったじゃん」
「こんなことが本当にあるなんて……」

 私は、まさか、と彼の瞳を見つめた。

「私があなたと同じ、瞳の色だからあなたが視えるの……?」

 恐る恐る訊ねると、彼は「あー……」と首を傾げた。

「まあ、それもあるんじゃない?」
「それ()?」

 私は怪訝に思い眉をひそめたが、彼は「名前は?」とあっけらかんとした笑みを浮かべる。

由瀬(ゆせ)葉凪(はなぎ)です」
「葉凪……よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」

 彼は嬉しそうに、そしてなぜか懐かしそうに、目を細めた。

「えっと、あなたの名前は…?」
「んー? 幽霊って呼んで。あと敬語いらない」
「まさか、名前忘れてしまった系ですか…⁉」
「違うよ。まあ、いーからいーから。あ、遅刻しちゃうよ」
「はい…」

 私はこくりと頷き、幽霊さんと公園を出る。

「幽霊さんって、名前なんですか?」
「ひーみつ。敬語はなくていいからね」
「はい。あ、うん」

 すると幽霊さんが、心の底から嬉しそうにくふふと笑った。
 私はじっと彼を観察する。
 整った顔立ちの彼。誰かに、似て――。

「あっ! 飛行機雲!」

 いや……こんな人、会ったことない。

「ほんとだ」

 私は幽霊さんが嬉しそうに指差す飛行機雲を見た。
 空が好きな、整った顔立ちの男性――誰とも一致しない。…まあ、いっか。
 嬉しそうに飛行機雲を見上げ走る幽霊さんを、私は追いかけた。



「幽霊さんって……本当に、誰にも見えないんだね」

 屋上の扉を閉じ、私は口を開いた。手にはお弁当箱。

「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「言ってないよ」
「そうだっけ?」

 幽霊さんは屋上の真ん中に腰を下ろす。私も彼の隣に腰を下ろした。そしてお弁当箱の蓋を開ける。

「わあ、美味しそうなお弁当。親が作ったの?」

 幽霊さんが目を見開き、声を上げた。

「…ううん。自分で」
「へえ! すごいなあ。料理上手なんだ」
「そんなことないよ。……お母さんが忙しいから、自分でご飯を作ってるだけ」
「ふうん」

 私は「いただきます」と手を合わせてからお弁当を食べ始める。
 いつも通りの、平凡な味。

「ねえ知ってる? 俺、浮くんだよ」

 幽霊さんがそう言って、突然浮かび始めた。
 彼の体が宙を舞う。

「へー…、知らなかった」

 私は楽しそうに宙を舞う彼を見ながらお弁当を食べる。
 ……うん。いつもより、美味しいかもしれない。



「また明日ー」

 私の家の前で、幽霊さんと別れる。

「また明日ってことは、明日も会えるってこと?」
「もちろん」

 私はできる限り笑って、「また明日」と幽霊さんに手を振った。
 玄関のドアを開ける。相変わらず、家は静まり返っていて。いつもは寂しいとか思わないのに、今日はなぜか、寂しいと思ってしまった。
 学生鞄を置き、手を洗ってから畳の部屋に入る。

「……お兄ちゃん、ただいま」

 お兄ちゃんの仏壇に手を合わせ、私は部屋を出た。
 にっこりと笑うお兄ちゃんの写真を見ると、ひどく胸が締め付けられた。