わなわなと震えるメーロ侯爵が、手に持ったステッキを振り上げてきた――!





(まずい……! ぶたれる……!)





 咄嗟にわたしは目を閉じて、顔をかばう。



 鋭い痛みが走ってくる――。



 そう思ったのだが……。



 あるはずの痛みが訪れることはなかった。



 目の前に誰かの背が見える。



(そ、そんな――)





「ルビー、大丈夫か――?」





 わたしをかばうようにして、アイゼン様が姿を現したのだった。



「アイゼン様……!」



(地方の巡回から、帰っていらしたの……!?)



彼はステッキを、腕で受け止めていた。

 

 メーロ侯爵は叫ぶ。



「邪魔をしないでください、アイゼン様! そこの使用人が、儂の娘に嫌がらせをしているというんだ! うちの屋敷にもいたが、盗みを働くようなやつは、ずっと盗み続けますよ! アイゼン様、差し出がましいが、クビにしてはどうかね? 使用人の代わりなんていくらでもいるだろう?」



(クビ……)



 わたしの心臓が早鐘のようにうるさく落ち着かない。



(そう、わたしの代わりなんていくらでもいる……)



 頭を下げていると、エプロンのポケットに入れていたブローチが、コトリと床に落ちる。



 その時――。





「ルビーの代わりが務まる人間などおりません! この女性は、誰かに嫌がらせをするような人間ではない!」





 わたしをかばうように、アイゼン様が叫んだのだった。



(アイゼン様……)



 彼にかばわれ、わたしの目じりに涙がじわじわとこみあげてくる。



 だが、アイゼンの叫びを聞いて、メーロ侯爵の怒りは増してしまった。

 侯爵の隣に立つルヴィニ夫人もわなわなと震えている。



「みてください! アイゼン様はわたくしの言うことは聞かず、毎晩わたくしが彼女の文句を言っても、とりあってくださらないのです!」





「アイゼン様は自分のところの使用人をかばいたいのかもしれないが……娘に嫌がらせをするとは、私の顔に泥をぬるような行為なのですよ。さあ、どんな陰険な顔をしているんだ! そこの使用人、顔をあげて、儂に見せないか! ずっと俯いてばかりで、どうせ辛気臭い顔をしてるんだろうがな!」





 娘の夫が使用人をかばったために、メーロ侯爵の興奮は治まらない。





「ルビー、無理に顔をあげなくて良い」





 アイゼンにはそう言われたが、そうすれば愛する彼の顔に、それこそ泥を塗ってしまいかねない。

 激高する侯爵へと向かって、わたしは顔をあげた。



 すると――。



「なっ……!」



 なぜかわたしの顔を見て、メーロ侯爵は動揺していた。

 そうして、たまたまエプロンから落ちていたブローチに彼の視線が移動する。



「君、そのブローチは――?」



 なぜブローチについて侯爵が問いかけてくるのは分からなかったが、わたしは答えた。



「両親が十六の誕生日の時にくれたんです」



「両親……? 名はなんというんだね……?」



 侯爵に両親の名を告げると、彼は目を見張ったまま、その場に立ち尽くしていた。



「すまない。ステッキを振り上げてしまい悪かった……申し訳ございません、アイゼン様……娘の件は保留にいたします。また参ります――」



 そうして侯爵は城から去って行った。



 侯爵を見送りに行ったのだろう、客間からルヴィニ夫人も姿を消していた。



「アイゼン様、腕は大丈夫ですか?」



 彼はにっこりと微笑んでくる。



「もちろん大丈夫だ。ルビーは大丈夫だった?」



「はい……」



 アイゼン様にかばわれて嬉しくはあった。



 だけど――。





 わたしはある決意を固めたのだった。