「花凜ーっ」
試験を終えて何日か経った日。茉凛は嬉々として、うちのクラスに飛びこんできた。
「やったのっ! 中間の時より社会すっごい点数上がったの!」
「……そう」
「八十八点! 私、こんなに良い点取れたの初めて! 花凜のおかげだよ。花凜は? どうだった?」
こちらが言いにくそうにしていることなど、茉凛は気づきもしない。
どうせ家では母さんたちにも教えるんだし、ここで隠したって意味なんてない……。
「八十……七点」
ぼそりと言うと、目を丸くした茉凛の向こうで、星那がこちらを気づかわしげに見た。
周囲にいた生徒が、驚いたようにはやし立てる。
「なーんか意外。いつも九十点代常連の姉でも、そんなことあるの?」
「妹のほうが姉より良い点取るなんて、天変地異の前触れじゃね?」
男子の野次に、自分でも意外なほど胸が悪くなった。
胃の辺りがむかむかする……。
「あっ、ひっどぉい! 私だってちょっと本気になればこんなモンよっ」
「じゃあ最初っから本気出しとけよー」
そんな茉凛と男子連中のやりとりに、教室内はまた笑いに包まれた。
みんなの笑い声。
……なんだろう。すごくむかむかする……。
おかしそうなみんなの声が耳について、離れない……。
たった一点。私は――答えが合っていたのに漢字を書き間違えて、一点だけ茉凛よりも低かっただけ。そう自分に言い聞かせようとしているのに。
試験はどれも全体的に不調で、五教科の総合順位も、私は二十番も落としていた。
けど、その夜。
「ねえねえ、すごいでしょ? 私、社会は花凜より点数よかったの!」
そんなふうに、茉凛はいつまでもうれしそうに母さんや父さんに話した。
……やっぱり、むかむかする……。
むかむかどころじゃない。どうしようもないほどイライラする。
私の実力不足。自分のせい。茉凛を責めても、しょうがない。
そうやって私は何度、自分に呪文をかけ続けたかな……。
次の日も、いやな気分は続いていた。
放課後の掃除を終え、学級日誌を職員室へ提出したあと、進路資料室のそばを通りかかったところで。
「気にし過ぎだって。そんなの、おまえが悪いわけじゃねーじゃん」
――!
今の、三木の声?
反射的に足を止め、ドアの陰に身を隠して耳を澄ませ、そんな自分にとまどう。
なにやってんの、私……!
けど、罪悪感は次の瞬間、とんでもない黒っぽい感情になってふくれ上がった。
「……でも……私、花凜とは違うし……」
涙ぐんで少しかすれていても、私がその声を聞き間違うはずがない。
な、なんで?
どうして、二人が一緒に進路資料室にいるの?
ぐす、と鼻をすする音に、三木の声が重なった。
「姉貴は姉貴、おまえはおまえだろ。言いたい奴らには言わせておきゃいいんだって」
もう聞いていられなかった。
どうにかして足音を忍ばせる理性は残っていたけど。
その場を離れて教室へと戻る間も、私は気が気じゃなかった。
あの日、あの帰り道の、三木の声がよみがえる。
(妹は妹、おまえはおまえだろ)
……いやだ。三木が私に言ってくれたことなのに。
同じ言葉を茉凛が受け取るなんて、そんなのいや!
足早に教室に戻り、机のフックからスクールバッグを乱暴にひっつかんだ。
そのままバッグをどこかに投げつけてしまいたいような衝動を、どうにかこらえる。
「……おい、花凜。どしたー?」
星那の心配そうな声も耳に入らず、私は教室を飛び出した。
「ただいまー」
その日、後から家に帰ってきた茉凛は一見いつもと変わった様子がなかった。
ほんの少し鼻声で、瞼が少し腫れぼったいこと以外は。
でもやっぱり口数が少ないし、どこか様子がおかしい。
それくらいのことは、いつも一緒にいる私にはわかる。
「花凜、お風呂空いたよっ」
夕飯後、パジャマ姿の茉凛が部屋に戻ってきても、私は机に向かったまま返事をしなかった。これから私がお風呂に入って、また風呂掃除するのかと思うと、ひどくいやな気分。
両肘をついて組んだ手におでこを預けるようにして、感情をおさえる。
進路資料室で三木となにを話していたの?
聞きたいけど、どう切り出せばいいんだろ……。
はっきり聞いてみるべき? それとも知らないフリをして探ってみる?
「あ、花凜。そういえば――」
沈黙が気づまりなのか、いやに明るい声で茉凛が切り出した。
「今日、唯吾君がね」
「え?」
唯吾『君』……って?
胸の辺りでなにかいやなものが弾けた。
すごく不快な感触が、じわじわと私の中に広がっていく。
「あー、俺も藤崎姉に勉強見てもらえばよかったーっ! とかって吠えてたよー。唯吾君、暗記もの以外は全然苦手らしくてさっ」
茉凛、いつから三木を下の名前で呼ぶようになったの?
放課後の進路資料室。私が立ち去ったあとで三木は……茉凛になにを言ったの?
「三学期の期末、三人で一緒に勉強しない? 唯吾君、話してみると面白いなーって」
無邪気な茉凛に耐えることなんて、もう長い間慣れているはずだったのに。
文化祭前から、久しぶりに毎日がキラキラしてるって思えていたのに。
ぶちまけられたバケツのペンキみたいに、どす黒いものが私の胸を覆っていく。
――この感情は、嫉妬だ。
「あとね、唯吾君が他の男子と話してたん――」
バン! と力任せに机を叩いた。
もう、限界!
「……いい加減にして、茉凛!」
「え? か、花凜?」
三木が作ってくれた私の世界なのに。
また茉凛はそうやって、あとからやってきて私の場所を奪う気なの?
椅子から立ち上がってにらみつけると、茉凛はわけがわからないといった顔つきになる。
「な、なにっ? なんか怒ってる? 私、変なこと言った?」
「そうだよね……茉凛はいつだって悪気なんてないんだよね。そのうえ想像力もゼロ」
「え……」
「だから私がどんな思いしてるかなんて、考えてみたこともないんでしょ!」
「え……、え……?」
「いつもいつもそうやって、あとからやってきて、おいしいとこばっか持ってって! 調子良く人に甘えて、周りみんなに許してもらえるんだよね、茉凛は!」
茉凛が絶句したのに、私の言葉は止まらない。
「もう小さい頃からうんざり! 生まれてくるのは私だけでよかったのに! 茉凛なんて……茉凛なんて、いなくなっちゃえばいいのよ!!」
言い放った一秒後に、私はすぐさま後悔した。
なぜなら唇を震わせている茉凛が、明らかに傷ついているのがわかったから。
「……ひ……ど、……――な、んで…………ん、な、こと……いう、の……」
大きな瞳からみるみるあふれ出した涙が、茉凛の頬を伝っていく。
「か、りん……だっ――……いつ、も、私……おい、てっちゃう……のに……――」
カーペットにしゃがみ込んで嗚咽を漏らし、茉凛は泣き出した。
私は着替えを手にして部屋を出ると、足早に階段を降りた。
「ちょっと。あんたたち、なに騒いでたの?」
母さんの声も無視して、お風呂に向かう。
ただの醜い八つ当たりだって、わかっていた。
それでもあの言葉をすぐに取り消せるほど、私は大人にもなれなかった。
茉凛とそっくりな、私。
私とそっくりな、茉凛。
三木との時間が嬉しかったのに……。
今までのミラクルは身勝手な私が創り上げた、ただの夢だったみたい。
どうして、夢って覚めちゃうんだろ……。
お風呂の中で私はひとり、泣いた。
