「ほんとに……ほんとにごめんなさい!」
体育準備室でパイプ椅子に座ったまま、桜井さんは膝につくくらい頭を下げた。
その右足首に湿布が貼られ、包帯ネットが被せられているのが痛々しい。
ダンス有志のメンバーは、みんな心配そうな面持ちだ。
「どうするの……? 本番まであと三十分もないよ」
誰かが言った。まるでヒリヒリした空気が、刃物になって突き刺さるみたい……。
着替えを終えた三木が、桜井さんに尋ねる。
「足、痛むのか?」
「……湿布でさっきよりマシになったけど、動かすとまだ痛くて……」
「マジか……」
「な、なんとか前半はできると思う。でも後半のソロはたぶん、無理……」
ざわざわ、と不安そうな囁きがあちこちで起こる。
桜井さんは青ざめた様子で私を見た。
「藤崎さん。お願い……私のかわりにソロを踊って」
「えっ……」
「踊れるでしょ? 藤崎さんなら。ソロパートもずっと一緒に振りつけ考えて、一緒に練習してくれたよね?」
「…………」
「じゃないと……じゃないと……、みんなずっとがんばってきたのに……私のせいで、全部台無しにしちゃうよ……!」
桜井さんは両手で顔を覆って、うなだれた。
「そうだよ、藤崎さんしかいないよ」
「いきなりソロ踊るなんて、私たちじゃできないよ……」
女子の間でそんな声が上がる。すぐ近くなのに、まるで遠くみたいにこだまする……。
「藤崎」
いつになく神妙な面持ちで、三木が切り出した。
「俺からも頼むよ。桜井もこう言ってんだ。ソロ踊ってくれ。頼む!!」
あの三木が、みんなの前で私に頭を下げた。
みんなが一斉に、私を見る。
三木は、私のダンス教室での過去を知っている。
知っているけど、こうして頭を下げて頼んでるんだ。
それに、桜井さんも。もし無理をしてソロを踊って、怪我がひどくなったら。
それで本番が中断してしまったら。この先ずっと、苦しんじゃう……。
こくり、と喉を鳴らし、私はどうにか口を開いた。
「――わかった。女子のソロ……私がやる」
桜井さんが泣きそうな笑顔になって、みんなほっとしたように顔を見合わせる。
けど私は、笑顔になれなかった。
頭の中で、茉凛の後ろで踊っていたときの会場の景色がちらついた。
だめ、集中しなきゃ!
もうあと二十分くらいしか、時間はない。
「桜井は前半のパート、一番袖側に入れ。前半踊ったら、そのまま袖に抜けろ」
「わ……わかった」
三木にうなずくと、桜井さんは右足に体重をかけないように、椅子から立ち上がった。
もうそろそろ、舞台裏で待機する時間。みんなちょっと不安そうだけど、桜井さんに手を貸しながら、準備室を出ていく。
私はひとり、全身が映る鏡に手のひらを当てた。鏡の中の私が見つめ返してくる。
しっかりしろ、花凜……。いつまでも意気地なしじゃだめだよ!
ぱん! と両頬を叩いて気合を入れると、私は部屋を出てみんなと合流した。
午後二時。定刻どおりにステージの幕が上がった。
眩しい照明の中、曲に合わせてステージにステップで出た私たちは、最初のフォーメーションを作った。
全体でのポップコーン・ステップのあと、最初に男子七人が前に出て女子が後方に下がる。私たちが後方で踊り、男子のダンスが続く。
そのあと女子と男子の列が入れ替わり、女子のダンスパート。
オーケー、いい感じ。
前半を乗り切って、男子と女子の混合フォーメーションになる。
視界の端で、桜井さんがうまくリズムを踏みながら、すっと袖へ抜けた。
――まかせて。絶対に、私がやりきってみせるから!
全体で踊りながら、三木が前へ出た。見せ場のソロパートに、会場から歓声が沸く。
その三木のソロと入れ替わるように、次は私が前へ出た。
一瞬、三木と目が合う。
(頼んだぜ!)
その目が、そう言ってた。私は小さくうなずいて前へ出る。
桜井さんと何度も考えた振りつけ。何度も練習した腰のアイソレーション。
ステップ、ターン、ステップ、ターン。
よし、いい感じ! と思った時。
汗でステージの床が濡れていたらしく、右足が滑った。
――ま、まずい!
うっかり、両膝が折れて体が床に持っていかれそうになる。
私はとっさに床に左手を床につくと、左足を引き寄せ、右足を思い切り客席に向かって振り回し、 キック・ターンに持ちこんだ。そのまま両足を開いて着地し、顔を切ってクロス・ターンにつなげる。
サイドの長い髪が、遠心力でダイナミックに円を描いた。
アドリブだったけど、一連の動きにわっと体育館じゅうに歓声が上がる。
やった、うまくいった……!
危機一髪のミラクル。泣きそうになる……。
曲の終わり、最後は全員のポーズでフィニッシュ。会場からは拍手が沸き起こった。
上下の舞台袖に別れて退場すると、ダンス有志メンバーは舞台裏で抱き合った。
「よかったーっ! おつかれ!」
「やったじゃん!」
男子も女子も、ハイタッチして大騒ぎだった。
「藤崎さん……ほんとに、ありがとう……ほんとによかった……!」
桜井さんが抱き着いてきた。
「ううん、私こそ。桜井さんと一緒に練習してきたから、できたんだよ」
「やったな、藤崎」
三木もやってきて、親指を立ててみせた。
「ねえ、みんなで記念写真撮ろうよ! 外で集合して撮ろう!」
誰かが言い出して、私たちは体育館の外へと出た。
すると。
「花凜っ! 花凜ーっ! おつかれーっ!」
「え、茉凛?」
見ると、茉凛がメイド服姿で駆けつけてきた。
白いヘッドドレス、袖のふくらんだ黒のミニワンピ、ふりふりの白いエプロン。
うわ、やっぱ、メイド茉凛すごくハマってる……。
「ど、どうしたのよ、茉凛。メイド喫茶のほうは?」
「ちょっとだけ抜けてきたの。それよりあのターン、超かっこよかったっ! もう、花凜。ソロ踊るなら隠さないでおしえてよねっ」
……隠すもなにも、ついさっき急きょ決まったの。
なんて説明するひまもなく、茉凛はそばにいた桜井さんに気づいてはっとする。
「ああ、カナっち! 怪我は大丈夫なのっ?」
「あ……う、うん。私なら大丈夫……」
桜井さんはふっと目をそらした。
「それより、茉凛。模擬メイド喫茶、盛況なんでしょ? リーダーのあんたが抜けちゃ、他の子も大変なんだから。早く戻りなよ」
私が言うと、茉凛はうなずいた。
「う、うん。もう戻るとこ。それじゃっ、ほんとお疲れ!」
そう言って手を振り、メイド服姿の茉凛はバタバタと走り去っていった。
