「矢束さんさー俺と付き合ってよ」
軽い口調でいう彼に、矢束さんは怪訝な顔を向けている。
「それ、断ったでしょ?」
「俺の何がダメなの?」
「むしろ今野くんはなにがよくて私と付き合いたいの?」
「え? 矢束さんと付き合いたくない男なんている?」
「ふつうにいるでしょ」
「そんなこといわずにさあ。お試しでもいいから付き合ってよ」
「しつこいよ、今野くん」
冷たい口調で言い放った矢束さんに、今野くんはぐいっと詰め寄った。
矢束さんが驚いでわずかに、後ろに身体をひく。
「じゃあさあ、諦める代わりにキス、させてよ」
「⋯⋯は?」
「そしたら諦めるからさあ。いいっしょ?」
「ちょっと⋯⋯!」
今野くんは矢束さんの手をおさえて、壁にドンッとあてた。
矢束さんは身体をよじるが、身動きが取れない。


まずい!!
このままでは、矢束さんの唇が奪われてしまう。

そう思うのに身体が動かなくて、頭の中にたくさんの思考が渦巻く。


どうするどうするどうする。


「あ、あの⋯⋯!」
今野くんが矢束さんに身を寄せた時、思わず僕は大きい声を出した。
二人とも驚いて、僕を見ていた。
矢束さんはわずかに目が潤んでいるようにみえた。
「なに? 取り込み中なんだけど」
「木下くん!」
「矢束さんを先生が!先生が呼んでます!」
「後で行くっていっとけよそんなん」
吐き捨てるようにいわれても、引き下がることは出来なかった。

好きな女の子が泣いてるのに、このまま引き下がるなんて、できないだろ。

「急ぎの用事なので!」
ツカツカ近寄って、彼が握っていた矢束さんの手を放した。
力は抜けていたらしく簡単に放せたが、矢束さんの手首がわずかに赤くなっているのをみると心が痛くなる。

「それでは失礼します」
こんな地味メガネに乱入されるなんて夢にも思ってなかっただろう今野くんに軽く一礼して、僕はそのまま矢束さんとその場を去った。